2020年6月25日木曜日

【Daily Open Windows】6月25日

六月二十五日

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。(黙示録二十二・十三)

私たちは、主のために自分で立てた構想、自分で作った予定、自分で備えた手立て、そして、自分で考えた計画の全てを引き戻して、主と二人だけの隠れた部屋で、真の生きた、霊的な主との価値ある結びつきに入らなければなりません。それによって、生きる目的が私たちの内側から――私たちの思い、私たちの願い、私たちの意思から――生まれるのではなく、神とともに生き始める中で、自分の中に神が定めた使命を見つけるためです。主は、私たちに、ご自身が行っていることを、霊的な知覚によって見せ、また、ご自身がするのと『同じように』させようとします。これは、神が、ご自身の目的と同じくらい、ご自身のやり方にも、強くこだわっているからです。問題は、神のために行っているかではなくて、神から来ていることを行っているかです。この使徒が、新しい創造についてのすばらしい声明に、全てを支配するあの一項を付け加えたのはこのためです、『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。・・・』新しい創造においては、全てのことは神から出ています。神の働きの中に、このお方がいます。ただ一人のこのお方に、神の働きのすべてが委ねられています。ここにいるのは、主であるただ一人のお方です。全ての神の働きは、栄光のうちに、主であるこの人に結び付けられています。私たちにとって大切なのは、キリストとは何かを知ることです。キリストとは誰かということだけではなく(キリストが神であると知ることは大切ではありますが)、キリストとは何なのかを知り、キリストは新しい創造の全てをその中に包み込む人であること、主は今や神としての人格そのものであること、そして、主は完全に、徹底的に、全面的に、そして、最終的に神の考えを表す方であると知ることです。新しい創造に関して言えば、イエス・キリストから離れて神が表されることはあり得ません。神の思い、神の意図、神の願い、神の働きはこの主の中で完成します。この方は、初めであり、終わりですから、あなたはその外に出ることはできません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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