2020年8月15日土曜日

【Daily Open Windows】8月15日

八月十五日

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(第一コリント一・九)

現代は、安さが求められる時代です。なんでも、最小限の費用と手間で、できる限り、安く、早く、手に入れよう。『すばやく手に入れよう。簡単に手に入れよう。』この考えが、世界のすみずみまで支配しています。今では、あらゆることを、手軽に片づけ、手早く行うことがよしとされています。台所でも、急いで歩くときも、家事をする中でも、世界のどこを見ても同じです。この世的に正しいことが、今では、霊的にもおおむね、正しいことにされています。生活の基準は、恐ろしいほど低くなっています。大きいことが、偉大であることに、取って代わりました。偉大さ、言葉の本当の意味には、もはや、重きを置かれません。ああ、誰もがこんなふうに語っています、『大きい、そうとも、大きければよし、それが間違いなく、いちばん良いことだ。』しかし、これは、聖書の教え、福音とは完全に真逆の考え方です。今の世は、このようになっているのです。簡単でたやすいこと、気軽さ、あでやかさ、興奮、感情といったものが、私たちの日常をつかさどる秩序です。このような急ぎ足の生活が、いたるところで、キリスト信仰の中へ入り込んできています。その結果、実に貧しいキリスト者が生まれているのです。・・・・


真実を目指して進もうという動きが明らかに存在すること、とくに、若い人たちのあいだにそれが顕著であることを、私はとても嬉しく思っています。彼らは、虚実に飽き飽きし、うんざりしているのです。彼らが真実を見出し、いたるところにあふれる、まがい物の真実、本物と似てはいるが幻想に過ぎない真実の代用品を拒絶しているとしたら、それは、本当にすばらしいことです。・・・・私たちは、主にあって喜びに満たされるようになりますが、時に、幸せであることと、喜びに満たされることのあいだには大きな隔たりがあります。『しあわせ(happy)』とは、何かの『できごと(hap)』がもたらすものです。『よろこび(joy)』とは、何が『起ころう(happen)』とそこにあります。キリストの中に入ったときに、私たちがたどり着いたものの本当の性質を取り戻し、見直すことが必要です。・・・

パウロは窓を開き、このピリピ人への手紙のこのことばで、その一端を見せてくれます、『・・・キリストは、神の御姿であられる方。』万物が存在するずっと前からおられたのが、私たちが出会ったこの主です。そして、交わりと言えば、私たちは、主であるこのお方との『交わりに入れられた』のです。・・・・私たちが、到達したのは小さな、軽い、薄っぺらな何かではありません。私たちは、喜びにあふれて賛美したり、多くのことができますが、これは、決して安っぽいものではないことを忘れないでください。これは、小さなことではありません。これは、たやすいことではありません。これは、世界全体を包み込むものであり、私たちはその交わりへと召されています。あなたが愛するこのお方、『救い主』であり、『主』と呼ぶ、このお方のすばらしさを、心新たに見出すことができるように、私は祈っています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: