2020年8月3日月曜日

【Daily Open Windows】8月3日

八月三日

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。(箴言二十九・十八)

教会の現状について、少しでも知っていれば、教会には神のことばを伝えてくれる人が悲劇的なほど不足しているという意見に反対はしないでしょうが、しかし、大切な点は、その時々に伝えられるべき神のことばは何かという知識こそが必要とされていることです。そこで伝えられることばは、神から、その目的のために選ばれた人たちへと伝えられなければなりません。これは、取り上げられてもいい務めではありません。普通は、そのような責務が与えられるまでには、神と共に歩んだ長く深い人生の歴史、神秘と苦しみに満ちた歴史があります。その過程で多くの段階を経るわけですが、そのすべてが、神の御心の中で許され、あるいは、神が下される命令の中にあり、人を教育し、経験を与えることを目的としているとは言え、その道筋は決して、既に完成して、定まったものではなくて、大きな変化が求められることもあり、その変化のたびに新たな霊的な危機が訪れます。このような器を作るにあたって、人にできることは何一つなく、どれだけ強い関心を寄せても同じことです。これは、ただ神だけにできる仕事であり、器は神の手にゆだねられなければなりません。・・・


神の幻、そして、勇気を受けた人たち!そう、そして、私たちが知っている他のどの領域よりも、大きな勇気がここでは、求められます。ひとつ、啓示が与えられると――まず第一に――それは、その啓示を受けた者と、受けていない者たちのあいだを明白に分かちます。このことが多くの可能性を生み出します。神の最良のしもべでさえ、その啓示を見ていなければ、おそらく、身を引くことになります。これが意味するものは、孤独であり、また、おそらくは、かなり長い間、一人だけで進んでいくことになります。それがもたらすものとは、孤立、誤解、不当な扱い、疑い、閉じられた扉(人間が閉じられる扉ならば)です。それから、神から与えられる啓示は、ただ、口先だけの真理ではなく、そこには、必ず、現実的な問題が起こされます。この現実の問題は、真実が結晶化したように現れ、このため、その啓示に従うものたちは、明らかに際立った人に変わります。これによって、敵対者の群れが新しく生まれます。

もし、神から、キリストの中に、御自身の目的についての啓示を与えられ、それが、きわめて重大な目的で、これまでの特別な人生の歴史と備えはそのためであったことが示されたなら、それは、サタンの利益においても、非常に大きな瞬間であって、サタンは、その進路を塞ぐために使えるものなら何でも利用するということに、私たちは気付かなければなりません。・・・・もし、今、この時間における最大の必要が、神の幻を受けた者としての必要であれば、そこで、その代価を支払いたいという強い意思を持つことも必要となります。しかし、そこには別の側面もあり、それは神の側であって、すなわち、その代価に対する償いも、また非常に大きいということです。開かれた天を手中にしていること、そして、神からの指令を受けていることは、何よりも大きなことです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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