2020年8月29日土曜日

【Daily Open Windows】8月29日

八月二十九日

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。(第二コリント十三・五)

新しい創造を作るものの総和がキリストの内にあり、別の言い方をすれば、人の外にあるのです。それは、人から離れたところにあり、これからも変わることはありません。新しい創造の総和たるキリストは私たちの中におられても、この新しい創造はキリストの中にとどまり、私たちは主と結びついていることによってのみ、その中にいられるのです。主は私たちの中で、完全さを表す象徴となりますが、その完全さを実行に移すとき、それは必ず、ただ純粋に、信仰という土台に基づいて行われます。どんな場合も、それが、私たちの中から生まれたと言ってしまうようになったら、その時、信仰は消え去ります。その完全さが私たちの中に既にあり、それが私たちの本質であったら、信仰などいらなくなります。その結果は、自分を繰り返すだけになってしまいます。・・・・


私たちが進んでいく上で、いつでもぶつかる困難は、私たち自身です。私たちが求めるキリストの完全さ、新しい創造が意味するすべてのものに対する最大の障害、最大の敵は、何らかの形で私たち自身の中にあることに、誰もが気づくはずです。それは、自己充足――何かりっぱな者、神を満足させるような自分自身になろうとする試みにすぎません――であったり、自分の努力でする奉仕だったりします。それは、どこかで突然、顔を出す私たちの生まれたままのいのちであり、それが現れるときは、私たちと神から来る『すべてのもの』のあいだに切り込んで来るため、このとき、私たちは我に返り、立ち止らせるものが自分自身であることに気づきます。・・・・自分自身の中により良いものを見つけようとしても無駄なことです。自分の中には堕落以外の何も見つかりません。私たちは本当に、この事実を受け入れているでしょうか?

自分には多少なりとも価値があると考えている人たちは、自分の中には堕落以外の何も存在しないことを、一度、はっきりと受け入れた方がいいでしょう。そしてまた、それを受け入れながらも、心は自分の古い人に支配され、そこに何か価値があるかのようにしがみついている人たちも同じです。そんなものは、主イエスも投げ入れたところ、墓穴に投げ捨て、二度とその周りをうろついたり、掘り起こしたりしないでください。そうすると、また何か価値のあるもののように思えてくるかもしれません。あなたの信仰を神の御子に固く結び付け、自分自身を永遠に捨て去ってください。その時、初めてあなたは、解放されている自分を見出すでしょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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