2020年8月25日火曜日

【Daily Open Windows】8月25日

八月二十五日

被造物が虚無に服したのが自分の意志ではないからです。(ローマ八・二十)

ひとつの文章が、私たちの心にあるものを見せる窓となるような、そんな表題を探している中で、もっとも力強く思えたものがこれでした、『地に落ちることの呪い。』最初の三つの単語(地に落ちること)の意味を理解することで、歴史というものが霊的、また、時間的に、どれだけ膨大なものであるかが説き明かされます。・・・・呪いの性質と特徴とは、聖書のいたるところに示されているように、挫折、妨害、当惑、不満、失敗、混乱、苦悩、衰弱、そして、絶望と死に対する勝ち目のない苦闘です。・・・・神の目的のために大いに仕えたものの多くが、やがては地に落ちて、崩れ去り、過去の栄光にすがって生きることになるのは、いったい何故なのでしょうか?そのようなことにならないように、主が手を貸してくれず、御自身が用いた道具や器たちを無傷のまま守ってくださらなかったのは、いったい何故なのでしょうか?聖書の真実に徹底的に従うことに強く心を砕いてきた多くの者たちの間に、際限なく、分裂に次ぐ分裂が起こるのは何故でしょうか?このような多くの疑問に対して、答えはただひとつしかありません。その答えとは、地上に落ちたからです。


どこかで、どのようにしてか、彼らを打ちのめすことが起こりました。このとき、地上に下ることをほのめかす何かがありました。人は、天のものに手をかけ、地上まで引きおろそうと試みました。その試みとは、さまざまな性質を合わせ持った『新約聖書教会』を建てたことかもしれません。すなわち、そこでは、新約聖書の記載に即したことが教えられ、定められ、そして、実行されます。聖書から引き出した秩序、技法、構造といったことが、教義、手続きのしきたりとしてまとめられて、『基本』、形式、標準と呼ばれるようになり、また、集団、組織、団体の『定め』となっていったのです。人の心と人の手が、物事を定め、統制し、維持するようになりました。歴史が下した判断は、神は決してそのようなものにご自身をゆだねないと言うことです。・・・・使徒たちは、新約聖書教会の『青写真』を携えて、出かけていったわけではありません。使徒たちの働きの成果とは、大転換が起こって、古い創造が幕引きを迎え、新しい創造が示されたことです。秩序と知識の後に現れたものは、キリストの体としての有機体(organic)であって、人間が作る組織(organized)ではなく、自然に生まれたものであって、強制されたものではなく、いのちであって、法の制度ではなく、そして――何にもまして――天なるものであって、地のものではなかったのです。人がこれを地上まで引き下ろしたとき、すべてが間違った方向に進み始めたのです。・・・・ああ、地上へ落ちるということ!これこそ、本当に致命的なことでした!主の民は、天においてキリストとひとつになることの根本的な意味を、いつになったら、理解するのでしょう!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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