2020年8月7日金曜日

【Daily Open Windows】8月7日

八月七日

ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み・・・・一心に走っているのです。(ピリピ三・十三、十四)

主は、私たちが前に進むことを望んでいます。時には、他の誰も自分と一緒に来てくれないところに進むために、前進することが孤独につながることがあります。これが意味するのは、従順には代償が伴うということです。これは時に、大きな挫折、大きな変化を意味します。このとき、私たちが主の前に自分を変えられるかということが試されています。自分を変えることができれば、それは、主に自分のすべてを捧げているという証明になります。その証明があれば、主はご自身の思いの中に、私たちを導き入れることができます。地上にいるあいだ、私たちは、これ以上、高い水準はなく、これ以上、豊かにキリストが満ち溢れることもないという状態に達することなど、絶対にありえないといつも覚えておきましょう。いつでも、さらなる次の段階があり、その後にも、おそらく別の一歩があり、より高いところへと続いてゆきます。私たちは、そのすべての段階に達することに心を向けましょう。主は、この苦難があまりに厳し過ぎるものとならないように、ものごとを段階的に進めてくれます。主は、私たちを一度に一段ずつ前に進め、私たちが、一足で六段階を飛び越えたり、一度の六歩分を進もうと考えることは望んでいません。主は、次の一段階を示され、私たちはそこでは、その一段だけに心を傾けるべきです。他の段階は、適切なときにやってきます。一歩一歩が、私たちを次の歩みに向けて整えてくれます。


私たちの生涯は、多くの面で、山登りに似ています。下からある高さを見上げると、その場所が頂上のように思えて、あなたはそこに向かって進みます。そして、その地点に着くと、少し先に別の頂上が見えます。今度こそ本物の頂点に違いないと考え、その場所をめざしますが、そこに到達すると、さらに先に別の何かがあります。頂上に着くことは、できそうにありません!しかし、最後にはたどりつくはずです。主は他のところを隠して、こう言います、『さあ、これがあなたの次の一歩だ。それに従えば、もっと豊かな啓示がその後に現れる。』人生を振り返って、もし、主に、それまでに導かれてきたものの全てを、一度で見せられていたら、どれほどひどいことになっていたかを想像できる人なら、きっと分かるでしょう。その全てを一回で見てしまっていたら、前に進むことはできなかったはずです。主が多くの段階を踏んで私たちを導いてきたくれたことを知り、私たちが享受しているキリストの計りと豊かに示される啓示を思うなら、今日、支払われた代償に感謝しないでいることはできません。次のしもべの霊を、私たちにも注ぎ込んでいただくように主にお願いしましょう、『私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、・・・・一心に走っているのです。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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