2020年8月22日土曜日

【Daily Open Windows】8月22日

八月二十二日

自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。(ダニエル十一・三十二)

主の十字架の後、この十字架によって主との絶対的な一致へと導かれた人々を通して、満ち満ちた神の力のすべてが世界へと解き放たれました。これは、実に不思議な知識であって、この世界という巨大な制度が知らない力と強さが、この世の状況の上に解放されたことを意味しています。第一に、神についてのこの知識は、啓示によるものであることを覚えておきましょう。


神のこの知識は、読むこと、聞くこと、会合に参加することだけによって得ることはできません。・・・・この知識を頭の中で考えて理解し、お題目やことばを覚えて、利用することはできます――しかし、実際に、どのように働いているかということについてはどうでしょう?ある状況の中で、私たちの個人としての存在は、どのような意味を持っているでしょう?そこから、力が外に広がってゆき、その力はどんな人間的な根拠によっても説明できないものでありながら、この世の組織、この世的な手段、この世の資源が表す力よりも大きなものとなっているでしょうか?これは何よりも大切な質問です。すなわち、この事実が、生きた知識となっているのか、それとも、会合で聴いて、頭の中で何となく理解できている程度なのでしょうか?私たちは、このことで個人的で内的な啓示を受けて、この事実の中で、神を知っているのでしょうか?

第二に、それは痛みによってもたらされます。何ごとか、おそらく、キリストの十字架とか、サタンに対する勝利に関することが真実として示されると、あなたは自分がそのことを知っていると思いこんでこう言います、『これはすばらしいことだ!』そして、あなたは、そのことを語り始め、ほどなくして、何ごとかが起こります――あなたが生きる環境にも影響が出てきます。それから、あなたは、その真実とともに落ちていき、恐ろしい苦悩の渦の中へと沈んで、地獄の門までまっすぐに降り、あなたの存在は根底からひっくり返されてしまって、いつでも、この問いが絶え間なく湧き上がってきます――『これはいつまでも、真実であり続けるのだろうか?』こんな思いを持って、生きていけるでしょうか?そして、あなたが、落ちるところまで落ち切ったとき、肉の要素と自我の要素が取り去られ、この勝利を受けるために、必死で主にしがみつくしかなくなります――ここで、あなたが自分の存在の根底まですべてを試したことがはっきりします――あなたは、まさしくこのようなものとなり、そして、暗闇の中で葛藤している他の人たちのところへ行ってこう言います、『私には分かっている――私は、このことを知っているし、神は誠実なお方であることも分かっている、私は勝利を知っている。』このとき、あなたの知識は、力強く増し加えられたのです。その真実について、疑う気持ちを持たないのは、あなたがその真実とともに深みまで落ちて、奥底でそれを証明したからであり、まさにその痛みによって、この真実は証明されたのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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