2020年8月27日木曜日

【Daily Open Windows】8月27日

八月二十七日

ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。それで、・・・彼女たちは驚いた。(マルコ十六・四~五)

主が御子のために動き、その願いがすべてを支配するとき、そして、その御子の願いが私たちを主との新しい関係へと導いて、動かせないほど大きな石、解決できないほど大きな問題、強すぎる困難など決してなく、主は御子のために必要なことをすべて成してくださると私たちに言わしめる――この境地に達したとき、主は静かに、多くを成し遂げることができます。私たちには、それはただ『起こる』ように見えます。ああ、しかし、そこでは、あまりにも大きな力が目的を持って用いられたのです――『すると、大きな地震が起こった』(マタイ二十八・二)。しかし、状況をあらためて見ると、これは、決して地震などではなかったことがわかります。ただ、書かれていることが起こったのです。主のなされることの一面として、奥義、主の巨大な力が静かに働いて、最大の困難が、あたかも初めから存在しなかったかのように消え去ってしまうことに気づかなければなりません。主は時には、私たちを大きな御力がはっきりと働いているただ中へ導くこともありますが、そのようなことは多くはなく、実はそうではないことの方が多いのです。信仰についてはむしろ、障害物をひそかに取り除いてくれるような力が働いており、私たちは後で気が付いて、感嘆することになります、――『それで、彼女たちは驚いた。』そして、御使いは言いました、『驚いてはいけません。』驚きがあるのは良いことではありますが、驚きの中には、私たちの信仰が十分でないために起こるものもあることを、心にとめておきましょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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