2020年8月2日日曜日

【Daily Open Windows】8月2日

八月二日

また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。(第一テサロニケ三・十二)

自分と同じ集まりにいる仲間を愛することは、そう難しくないかもしれません。しかし、ここには、『すべての人に対する』ということばが加えられています。これは、ずっと深いことです。私は近ごろ、このよく知られたみ言葉が持つ力を、これまでになかったほど、深く、また、強く感じるようになってきました――『知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます』(第一コリント八・一)、そして、他のことば、たとえば、『からだ全体は、成長して、愛のうちに建てられる』(エペソ四・十六)も同じです。他の人の中にあるもの、また、自分と相容れないキリスト者たちやキリスト者の働きと活動が持つさまざまな要素の影響を受け始めると、私たちは、心を閉ざして、自分の中に引きこもり、互いに助け合ったり、教えあうことを通して何かを行うこともできなくなります。何度も繰り返して、非常に現実的な質問が湧き上がってきます――あの人の中には、こんなことや、あんなことがあるのに、この状態でできることはあるだろうか、何かが可能なのだろうか?これまで何度も、私たちは、表に現れてくる多くのことをはっきりと意識しては、それに抗ってきました。それから、主のところに行き、主とともに、そのことと向かい合う中で、私たちは前に進むことができるようになったのですが、そこで何かが起こって、主の働きかけがあり、私たちは、そのことに驚き、また、自分の側から不満を持ったことを戒められました。私たちは、この全てをしっかりと見抜き、また、主は心を見ることを常に、胸に刻んでおかなければなりません。私たちの目の前には、おもに無知、適切な教えの欠如などから生じたものがたくさんあって、そのことで、怒りを覚えることもあります。しかし、主は心を見ます。主が見るのは、このように心の表側を広く覆っているものの奥に何かが隠されていないか、ご自身に対する本物の心の愛があるかということであり、そこで、その愛を表現しようと真剣に努めているのかということも、主はご存知です。


そこには、誤った理解、無知、また、他の原因があるかもしれませんが、しかし、私たちが怒りを感じるものは、そこに関わる人の側から見れば、彼らの主に対する愛の示し方であり、私たちは、ここで、背を向けてはいけません――私たちは、彼らに歩みより、そして、主のために何かができるか可能性を見つけなければなりません。主は前に進んでゆき、あきらめることがありません。主は、ご自身とすべての人に対する心の愛がほんの少しでもあれば、そこからできることはすべて行っています。ここで投げかけられる試練は、非常に現実的であり、また、私たちにとって、とても厳しいものとなります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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