2020年8月30日日曜日

【Daily Open Windows】8月30日

八月三十日

神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせてくださった。(コロサイ一・十九)

これを、ただのことばと捉えないでください。一片一片のことばの内に、この真理が込められていることを理解してください。すなわち、あなたと私が今、生きている摂理の中、神が完全なすがたで来られたということです。それ以上、付け加えることはありません。御子の内側には、神の絶対的な完全さが備わっており、そして、その完全さのもと、神は御子の中で、私たちに語りかけます。神には、この意味で、ただ一人の子供しかいません――神のひとり子であり、これは、主の後から来るものは誰もいないことを意味しています。ですから、神の最後のことばは、御子の中にあります。


御子は、神が完全であること、神が完結していること、この両方を伝えます。この事実が、この書簡全体を厳粛なものにしています。手紙は言います、『御子の声を聞くことができなければ、別の声が聞こえることはありません。神は、別の声で話そうとはされません。神は御子の中で語られたのであって、他には、どのような手立てによっても語ることはありません。』それゆえ、この書簡には、この警告と激励のことばが込められています、『これで完全であり、ここで完了しているのだから、はっきりと心にとめるようにしなさい。・・・』主イエス様とのふれあいに入ることは、教えにふれる以上のことです。それは、今も生きて、働いている主とのふれあいに入ることです。『私たちが、つながりを持たなければならないのは神です。』キリストの中で神とふれ合うのは輝かしいことです――しかし、こうも書かれています、『生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです』(ヘブル十・三十一)。いや、これは、本、教え、哲学などではなく、生きていて、前向きで力強い、人としての主とのふれあいです。・・・

おそらく、これは天に向けて開かれた窓のようなものでしょう。正しい窓にあたれば、非常に多くを見ることができます。偉大なものを見ることができるし、遠くまで見通すこともできます。しかし、私に望める最善のことは、これによって窓が開かれ、その窓を通して、あなたにただひとつの真実が見えること――すなわち、イエス・キリストは他のどんなものより優れており、私たちがたどり着いた摂理は何にもまして最上のものであり、そして、私たちが使える備えは、今までにあった何にもまして、至上のものであるということです!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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