2020年8月24日月曜日

【Daily Open Windows】8月24日

八月二十四日

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。(コロサイ三・三、四)

私たちは、自分の中にある主のいのちは、どこかを改善したり、何かを付け足す必要があるなどと考えてしまうことが、非常によくありますが、本当に求められているのは、自分が持っているものを見つけること、経験によって見つけたら、それに従って生きることです。このいのちは、主イエス様から離れたものではなく、決して、主の地位に何か改善の必要があるとか、また、今の主に何かを加えて主を完全に、今よりも完全にできる可能性があるなどと考えてはいけません。私たちは、絶対にそのようには考えません。そして、この主のいのちは、主ご自身とともにあるいのちです。この使徒が言うように、私たちのいのちとはキリストであり、私たちに必要なのは、自分の中のキリストとは何かを見いだし、それに従って生きることです。ですから、現実的な意味では、主のいのちが私たちをより多く捕らえることが問題であって、私たちが主のいのちをより多く受けることではないのです。あらゆる面で、いのちはこのように働きます。


このことが、神が定めた秩序のもと、死が今も支配し働いているこの世界で行われなければなりません。死が滅ぼされたことが、この世界では、まだ、はっきりと現れていないからです。死は、悪魔と同じように進み続け、主の十字架の完全な勝利が保たれている今も止まろうとしません。私たちが今も残されているこの世界では死が支配し、大きな活力として働いているため、この世界で私たちは、神の支配する秩序によって、私たちの内に預けられた主のいのちの価値を証明し、また、そのいのちが持つ可能性を見つけ出すようにならなければなりません。これは経験から得るべき発見です。この試みは、この世にあるものと、信者の中にあるいのちの戦いへと拡がってゆきます。これは、いのちを守るための戦いであって、いのちを取り去られないための戦いではなく――死が、私たちから永遠のいのちを奪い去ることができるかということではなく、それはここでは問題ではありません――このいのちの力を勝利に満ちて誇示し、完全に発揮するための戦いです。それこそが、問題なのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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