2020年8月5日水曜日

【Daily Open Windows】8月5日

八月五日

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・、あなたがたが知ることができますように。(エペソ一・十七~十九)

そして、この後には、知るべきことの一覧が挙げられています。この一覧は、人知を越えた大きな愛の次元へと進んでいきます、『・・・こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。』霊的な輝きが、この満ち満ちたさまへと人を導いてゆきます。霊的な輝きとは、従って、神の側にあって人を導く基本です。自分の頭脳に頼って、霊的なことがらを探求、調査するだけでは、決して、キリストの満ち満ちたさまに達することはできません。そこには、必然的に、聖霊がいて、キリストに関する啓示を与えなければなりません。イエス様の証しには、基本的な原則として、霊的な輝きと啓示が――みことばを通して――含まれています。イエス様の証しは、定まったかたちがあるわけではなく、何かひとつを取り上げて、『これがイエス様の証しです』と、形式にあてはめられるようなものではないのです。イエス様の証しとは、上から示されたものです。


イエス様の証しとは、『天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』ステパノは、この証しのために死にました。『その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって・・・・。』その声の内なる意味は、みことばからかけ離れたものではなく、聖霊によって、みことばを通して伝えられるものです。それは、文字以上のもの、主にあるいのちであり、あなたにこう言わせるものです、『私は、長いあいだ、このことで聖書を読んできたけど、今まで、本当にこれを見たことはなかった』と。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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