2020年8月31日月曜日

【Daily Open Windows】8月31日

八月三十一日

愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ五・十三)

私たちの生きる道を塞ごうと、自己愛、世への愛を投げ込むのは、いつでも、神の敵の手段であり、積み上げられた残骸を取り除いて、キリストへの純粋な献身という井戸を掘り起こすには、厳しい決断が求められます。とは言え、この障害物は、私たちの仲間の信者たちへの愛の欠如からも、生まれるのではないでしょうか。覚えておいてください。もし、私たちが他の神の子供たちに対して愛のない思いを抱いていたら、ましてや、その気持ちを行動に移すようなことをしたら、御霊は私たちの中で、また、私たちを通して、思うとおりに動くことができません。御霊とは、交わりの霊ですから、これができなくなれば、私たちも愛の働きをすることができなくなります。


つまらない考え方がもとで、兄弟間の愛を吹き消してしまうこと、怒りに支配されてしまうこと、また、見当違いの猜疑心に影響されたり、気分を害したりすることは誰にでもあります。・・・・私たちは、自分から進んで交わりを育むよう務めなければなりません。誰とも付き合いをせずにいる方が性に合っている人もいます。そのような人は、他者に敬意を払うことがとても難しいものです。時には、彼らは、意図的に人を無視したり、蔑むこともあり、また、何かを独りですることを好んで、人との結びつきやお互いに助け合うことに真剣に取り組もうとしません。

けれども、神のみことばが、もっとも明白に命じているのは、私たちが互いを敬いあうこと、おたがいに従うこと、そして、ともに生き、ともに働くことです。御霊が神の民に求めるのは、互いに一致団結した生き方をすること、家族の精神に支配されていることです。孤立していたり、無関心な性質を持つもの、神の家族という思いを理解せず、完全に受け入れることもできないものは、主の働きへの足かせとなります。交わりを保つことができなければ、霊の輝きを消し去ってしまいます。人の気分を害することを避けるだけではなく、進んで交わりを求めなければいけません。内なる井戸から湧き出す水がなぜこんなに少ないのかと困惑している人は、間違った謙遜の態度が根を下ろしているため、交わりの生活と主への奉仕に向けた個人的な貢献ができないのかもしれません。

ここで障害となるのは不親切さだけではありません。内気さや自信のなさも同じように、いのちの流れをせき止める石となることがあります。ここで行うべきは、ただその石を掘り起こして取り除けることです。すぐ、このただ中に入って、自分を解き放ってください!一人でいる方が好きだからと言って、後ろの席にばかり座ろうとせず、主の御名によって進み出て、聖霊にあなたの人生を操らせてください。自己主張が強くなりすぎているとき、御霊はすぐにそのことを教えてくれますが、あなたの井戸が、恐れや抑圧のために枯れてしまえば、御霊にできることはほとんどありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: