2020年8月16日日曜日

【Daily Open Windows】8月16日

八月十六日

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。(コロサイ二・九、十)

ああ、私たちの耳には、こんなふうにほのめかすささやき声が絶えることなく聞こえてきます。あれやこれをやめてしまえば、私たちは敗北し、人生は貧しいものになり、生活は次第に狭められて行って、いずれ何も残らなくなるだろうと。嘘です!これは、神が私たちに抱いている大きな考えに相反するものです。神の私たちに対する考えとは、このお方、神の御子イエス・キリストただ一人、その中に神の満ち満ちたご性質が人のかたちをとって宿っておられるこの方が、私たちの中にも満ちていなければならないということです。神の満ち満ちたご性質が、私たちのためにキリストの中に!主を拒んだら、それを受けることはできません。どこへ行くにも主とともに進んでいなければ、人生は、本来あるべき姿よりずっと小さくなってしまうはずです。そして、主に自分を捧げ、生活の中で主に対して自分の全てを完全に捨て去り、主から来ていないものを完全に断ち切ることで得られるものがあり、それは奉仕という領域で得られます。


この肉は、キリスト者の働きの中で、自分をひけらかすことを好み、そして、私たちが主により頼めば、不安な時を過ごすことになるとほのめかします。しかし、神に、より頼む生活は、常に気持ちが高揚した生活でもあります。いつでも変わらない驚きが見つかるのは、まさにここです。

しばらくの間、死んだようになりながら、後で主が何かすべきことを与えると、あなたははっきりと息を吹き返し、一呼吸するにも、主により頼むようになります。しかし、このような中で、あなたは主を知るようになるのです。その経験の後も、しばらくの間、あなたは惨めで死んだような状態にありますが、主が何かをされたことは覚えています。それから、主は、また、同じことをされて、人生は色鮮やかなものとなりますが、あなたが主に、一呼吸するにも、主により頼んでいたとは誰も思いません。自分にはとてもできなかったことを、主がされていると知ることは大きな祝福です。人間には当然、不可能なことであっても、主がそれをされています!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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