2020年8月18日火曜日

【Daily Open Windows】8月18日

八月十八日

神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。(ピリピ三・三)

実のところ、神が望んでおられるのは、あなたや私のために何かをすることではなく、あなたや私に何かを分け与えることではなく、あなたや私に何かを見せることでもなく、私たちを導いて、キリストの中で神をよりよく理解させることにあります。すべては、結局、神との個人的な関わりなのです。それは、このただ一人のお方を認めることであり、それによって起こるもっとも大切で、かけがえがなく、そして、永遠のものとは、何かをすることや、行動を起こすこと、真実を喜ぶことでなく、礼拝することです。


礼拝とは、キリストにおいて神を知る中で、初めから行われ、途切れることなく、そして、最後まで続けられるべきものであって、人と主の関係の中で他の全てのものの基本です。真の礼拝とは、主ご自身を心の中に見つけることからのみ湧き出て来るものです。聖書、とくに新約聖書を開き、(自分でしっかり理解できる狭い範囲に絞りたいならその中でも)復活の後の四十日間に注目し、これが真実あることを、確かめてみてください。人々が礼拝したのは、主が何か特別なことをしたり、言ったりしたからではなく、それまでは、知らなかった新しいかたちで主を発見したからです。神が何かをなさるとき、その全ては、私たちに、神ご自身をキリストにおいて知らしめるという究極の目的に支配されています。しかし、これは光に照らされることによって起こります。そして、その光はキリストがふれるときに輝きます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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