2020年8月26日水曜日

【Daily Open Windows】8月26日

八月二十六日

主であるわたしは変わることがない。(マラキ三・六)

古い契約と新しい契約のあいだには実に大きな違いがありますが、その違いは神の中にはありません。新しい契約においても、神は何も変わってはいません。主イエス様の仲介を通して私たちのもとに届けられたこの契約は、それまでと違う神を私たちにもたらしたのではありません。違いは神の中にはなく、すなわち、神の性質と神の標準はいつも同じであって、変わってはいません。恵みは、神を低い水準まで引きおろすことは決してしません。恵みは、神の聖さ、神の正しさに違いを生むものではありません。ふたつの契約のあいだの違いは、神の側の変化ではありません。神の立たれる場所は、これまでそうであったように、聖さにおいて完璧であり、正しさにおいて完璧です。その違いとは、第一に、仲介者たちにあり、第二に、その仲介者たちが立つ土台にあります。・・・・


ああ、演台から語られることばこそが、主のための務めの全てであるという考え方が作り上げられてしまい、この罠が聖職を行うものは他に誰もいないかのように思わせます。キリストを見上げることは、この世界の全ての人と同じように、あなたにも与えられた特権であり、そうであるからには、自分がキリストの中に見るものを他の人に伝えることがあなたへの召命でもあります。主を見つめながら、私たちは、栄光のある一段階から、別の段階へと、主と同じ姿に変えられてゆきます。これが、後から来た栄光、新しい契約の栄光です。キリストとは新しい契約の栄光です。この違いは神の中にはなく、違っているのは仲介者たちであり、ただ一人のとりなし人によって私たちがいる位置です。すなわち、私たちは今、キリストの中、神を喜ばせる方の中にいるのです。主が私たちに与える責務は、キリストにある神の完全さを、絶え間なく、ますます強く思うことから生じるものです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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