2020年8月4日火曜日

【Daily Open Windows】8月4日

八月四日

よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。(第二ペテロ三・十七)

使徒行伝の中で記されているように、始まりの日々には高いところにあった教会は、その後、衰退し始めました。使徒たちの時代が終わった後から、衰退が確実に進んでいることが分かりますが、この衰退は着実に進んで、教会は公的に、また、一般的にも世に属するものとなり、ついには政治的に地上と癒着したものとなってゆきます。あらゆる年代を通して繰り広げられてきたのは、この教会がその天的に高い位置を失い続けるのか、それとも、取り戻すのか、あるいは、どのような理由であれ、繁栄や逆境によって、もっと低い何かを受け入れるのかという戦いでした。その歴史全体を通して、真実であり、これまで真実であり続けたものは、今日も真実であり、私たちにとっても真実です。これは、全体に対して真実であるように、信者の一人一人に対しても真実です――すなわち、低いところへ落ちていく傾向があります。そして、敵の側から来るものは全てが、神の意図よりも低い水準、すなわち、主がご自身を完全に捧げられる水準よりも低いものを作り出そうとしています。民に対して主が立つ場所が保たれていて初めて、主はご自身を捧げることができます。


ここで私たちは、そこにあるものが、いくらかの問題を解決するのか、あるいは、私たちが持つ数多くの困難に対して最終的な回答を与えてくれるのかを見極めなければいけません。主がご自身の全てを本当に捧げているのは、ものごとの霊的な側面であって、現世的な側面ではなく、これは、主の働きに関わることでも同じです。主は、現世的な困難のことでも、時には後押しし、手助けもして、備えを送られます。主はまた、そのことで、支配したり、覆すこともあります。しかし、これだけを、主が完全に統治される領域の全てと考えることは、主にとってきわめて危険であることは私たちにも分かります。すなわち、この現世的な領域で困難が生じるたびに、主が即座に飛び込んできて、その困難を目の前から取り払い、ご自身の働きとしもべたちのために、安全で安易な道を開けてくれていたら、それは、実際には真の霊性を阻害することになり、そのできごとの全体を、世俗的な水準まで低めてしまいます。そうなると、何が起こるかは、あなたもお分かりでしょう。たくさんの人たちが、その利点につられて集ってきます。『キリスト教徒であることは良いことだ。キリスト教徒になりさえすれば、神は、あなたのために何でもしてくれる、』こうしてあなたは、『ライス・クリスチャン』と一部で呼ばれる者になってしまいます。このため、主はご自身の働きの現世的な側面に、自分を完全に捧げることはできないし、しようとはしないし、実際にしません。・・・・霊的には、天にいる主とひとつになるという立場は、完全さを意味しており、そして、その完全さの計りは、天的な生活と、すべてのものの天的な性質に、全面的に依存しています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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