2020年10月13日火曜日

【Daily Open Windows】10月13日

十月十三日

メラリ族に任じられた務めは、幕屋の板、その横木・・・についてである。(民数記三・三十六)

ここで板だけでなく、横木にも触れられていることを、私は嬉しく思っています。横木は、全体をひとつにまとめるものであり、そして、この横木にいつも気を付けていれば、分派を起こしたり、個人的な好みで行動したり、一人二人と仲良くなった人たちが、勝手な方向に離れていくこともないでしょう。キリストの御体においては、排他的な考えなどなく、人間的な好みだけで決まるものもなく、全ての部分がひとつにまとめられていることを忘れてはいけません。それが責任というものです。人の好みによって、また、主の民の中で選り好みや個人的な相性が生まれることでどれだけの損害が生じてきたことでしょう!一人ひとりに個人的な支えが必要であり、常に横木に注意して、全てをまとめておくことが必要です。これが、この使徒がこの言葉で言おうとしたことです、『御霊の一致を熱心に保ちなさい。』誰かの味方をして、他の誰かと敵対するようなことをしながら、御霊の一致を保つことなどできません。その人の手助けをしているのだと思うかもしれません。ああ、では、相手の人はどうでしょうか?横木は、人の行いを正し、つりあいを保ち、また、全ての部分にふさわしい手助けをするものです。そして、そこには柱があります。柱には何かが掛けられている、すなわち、私たちにはそれぞれの責任があり、また、私たちは神の前に与えられた責任を果たすにあたって、お互いに助け合わなければなりません。一人一人が自分の責任を負い、神に課せられた荷を運ぶようにと召されているからです。これは、お互いの荷を背負うことです。・・・・この責任は相互に背負うべきものであり、一人一人が自分の重荷を主の前に運びながらも、全体でひとつとなっているのです。


ここに潜む危険は、自分の務めだけを、水も漏らさぬほど、すきもなく果たそうと考え始めることです。・・・・心の中で、お互いと重なることなく、離れて存在している三つの四角刑を描いてみてください。すると、私たちの日常の時々にみられる、主のための働きの非常に大きな特徴が見えてきます。『ああ、これは私のすべきこと、これは私の担当するところで、これは私の進む道だ。私はこうなるために召されている、私はあれをするために召されている!あなたにはあなたの働きがあり、あなたにはあなただけの道筋があって、私には自分の道がある!あなたは自分のすることをし、私は自分のすべきことを続けて、お互いに重複することがないようにしよう!』ここから、全てが崩れ始めます。『私は伝道者であって、教師ではない!あなたは教師としての働きを進め、私は自分で伝道を続けるから、お互いに干渉しあうのはやめようではないか!』これは、お互いの責任を完全に切り離して、隔絶しているのです。その結果、必ず何かが失われます。・・・・私たちは、祝福された召しを受けていますが、その召しは責任を伴う厳粛なるものです。ああ、今日、私たちがともに、このように考えを正すことができますように。ここで試されているのは、私たちが自分を捧げている相手が主ご自身であるか、それとも、何か個人的な目的なのかということです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: