2020年10月27日火曜日

【Daily Open Windows】10月27日

十月二十七日

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ二・十)

これまでの人生を振り返ってみてください。仕事の中で果たしてきた役割りを思って、失望することがたくさんあるかも知れません。自分の中で、たくさんのつまづき、不注意を犯してきたことに気づくのではないでしょうか。時には、自分がその仕事に適していない、神が間違えたに違いないと感じたかもしれません。私たちの中にもそう思った人がいます。しかし、神が私たちにされることを、もっと深く見つめ、神の原理を知るにつれ、その中にあるすばらしい論理に気づくようになります。あなたと私は、何かのために召され、何かの理由があって神に引き寄せられ、神によってある場所に置かれたのに、神が何か間違えたのではないかと感じています、『私はこれにふさわしい人間ではない、私はこれに関わるべきではなかった、私はこれをする資格はない、あらゆる意味で、私はこの役割にふさわしくない!』それでも、神は、何があっても、そのようにされます。神は、あなたに力を与え、あなたを最後まで支え、その働きをやり遂げて、あなたはそれに驚き、驚嘆します。あなたが聖霊を受けるとき、それは成されます――すなわち、自分自身の有様を知って、自分の中に沈み込むこんだり、あきらめて、逃げ出すことをしなければ――あなたは、聖霊をしっかり掴んで、成すべきことをやり遂げ、そして、自分がやりぬいたこと、主があなたを通し、私を通して、これをやり遂げたことに驚嘆することになります。これは、神の原理と整合していて、相反するところはありません。神のもっとも奥深い原理と、完全に一致しています。主の臨在のもとでは、肉が栄光を現すことはありません。すべてが神に帰ってきます。神は――気をつけてください―――『この世の愚かな者、・・・この世の弱い者・・・無に等しいもの』(第一コリント一・二十七、二十八)を選ばれたのです。これは同じ者をさしており、主はこのような者たちを選ばれました。完全に首尾一貫しています。そう、主の道は、何と測り知りがたいことでしょう。『神は実に不可思議なかたちで入り込み、その奇跡をなされ』ますが、それでいて、常にご自身の原則に沿って行動されています。


御霊にある人生は、神が計画に沿って働いていることを、常に認め続ける、その連続です。反抗心、頑迷さ、強い自己主張、そして、どんなかたちでも自分中心の生き方は妨げとなり、人を後ろに引き戻します。しかし、御霊にある人生においては、あなたが何かのために選ばれたという証拠、証明が、途切れることなく示されてゆきます。神は、その日その日に、思いつくままにあなたを動かしているのではありません。すべてがひとつにかみ合わされています。良い行ないとは、既に定められており、『私たちがその中を歩むように、あらかじめ備えてくださったのです。』御霊の中を歩めば、私たちは、この備えられた行ないの中を歩むことになります。そのことに気付いても、気付かなくても、それは事実です。しかし、そのことが、予想もつかないかたちで明らかにされると、私たちはひれ伏してこう言うしかありません、『分かりました、主よ、私たちが言い返したことを許してください、自分たちで議論したことを許してください、自分たちの心を上に置き、あなたに逆らう思いを持ったことを許してください。主よ、あなたはすばらしい方です。』そして、私たちは礼拝します。それが選ばれたことの証拠であり、それ以上の証拠は必要ありません。その全ては、聖霊によって、キリストの中に置かれています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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