2020年10月2日金曜日

【Daily Open Windows】10月2日

十月二日

神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル一・一、二)

古い時代には、神は、『いろいろな方法』で語られ、多くの部分に分けただけでなく、いろいろなかたちで語られた、とあります。旧約聖書まで戻って、神が語られたすべての方法を見ようとすれば、非常に長い時間がかかります。神は、何千という手立てを通して語られ、時にはことばで、時には行動で語られました。その方法は、実に、『多様』なものでした。しかし、この節で、神は最後には、ただひとつの方法、全てを包み込むただひとつの方法、すなわち、御子において語られると述べられています。終わりの時には、御子ご自身が、神が語られるただひとつの方法、すべてを包含する方法となります。ある面から見れば、イエス・キリストから離れたところで、誰一人、神から何かを受けることはありません。神は、御子においてのみ語られ、他のどのような方法も拒絶されます。神があなたに何を言いたいのかを知りたければ、御子のもとに来るしかありません。別の見方をすれば、イエス・キリストの中に、神が言おうとしていることの全てがあります。・


そう、これまでの人生で私たちが理解してきたすべてのことよりも、はるかに多くを神は御子の中に語られています。イエス・キリストから離れて、私たちは何も持っていないし、主の他に、私たちに必要なものは何ひとつありません。キリスト教の教義について、これまでに書かれたあらゆる書物を読んでもなお、同じ人間のままで、何も変わっていません。神の方法は極めて実践的なもので、経験によって私たちに教えられます。その経験は、時として、非常に苦しいもので、ここでは、『子の訓練』と呼ばれています。主イエス様が、私たちの心に、このことをもう一度、しっかりと刻み込んでくださいますように!神は今もなお、御子の中で語られており、そして、神が語られる目的は、御子とともに働く仲間を得ることです。この天からの召しに加わる仲間たち、キリストの仲間たちは、とても厳しい学校に入って、多くの厳しい授業を受けなくてはなりませんが、こうして学ぶ中で、彼らは、自分が主イエス様の中に、どれだけ大きなものを受け継いだのかを理解するようになります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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