2020年10月9日金曜日

【Daily Open Windows】10月9日

十月九日

あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。(ヤコブ五・十六)

キリスト者としての生活において、私たちが主の御心に自分を合わせなければならない場面が数多くあります。主の御心とは、私たちの肉にとって必ずしも易しいことばかりではなく、何か特定の問題で、主の御心に合わせるために、必死で闘わなくてはならないことが、非常に多くあります。そして、祈りとはこのように御心に自分を合わせるための時間です。今夜、ここに集っている皆さんの中にも、何かのことで神の御心と闘っている方もいるかもしれません。そう、今こそ、その問題に片をつけるべき時です。祈りの時間は、あらゆることで神の御心と完全に一致する大きな機会を与えてくれるものです。・・・・


真の祈りとは、告白と屈辱の祈りです!真の祈りとは、主への全面的な引き渡しと明け渡しと服従の時間です!真の祈りは、全てのことで、神の御心と完璧な一致を見るため時間です!さて、これらの三つを私たちは、後ろ向きなことがらと呼ぶこともできます。もちろん、私たちがこの三つと正面から向かい合わなければならないときには、後ろ向きではなく、とても前向きなことになります。しかし、四つ目のことになると、ちょっと様子が異なります。パウロの場合、この初めての祈りの時間は、深い礼拝の時だったと、私は信じています。礼拝はどこから生まれるのでしょう?私たちを礼拝へと導くものとは何でしょう?礼拝の真の性質と精神とは何でしょう?それは、神の恵みに対する深く、言葉にできない感謝ではないでしょうか?私たちはただ、自分がどれだけ神の恵みに感謝しているか、その計りによって礼拝します。・・・・パウロが好んだ手紙の書きだしは、次の三つの言葉であったことを思い出してください、『恵み、憐れみ、そして平安があなたにありますように。』これがパウロにとってすべての基礎でした。すばらしい恵み、言葉では説明できない恵み、限りないあわれみ、そして、神との平安。これが、祈りのあいだ、間違いなくこの男が意識していたことでした。それは、神の恵みを願う深い礼拝の祈りだったのであり、あらゆる真の祈りの中には、同じことが置かれていなければならないのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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