2020年10月17日土曜日

【Daily Open Windows】10月17日

十月十七日

管理者には、忠実であることが要求されます。(第一コリント四・二)

神の目から見てもっともすばらしい美徳は、忠実さであると私は信じています。それは、すべてを包み込むものです。忠実とは神ご自身の心に従うことです。この管理者、使徒パウロの言葉を拾ってみましょう。『デマスは、私を捨てて行ってしまい・・・』(第二テモテ四・十)、『・・・アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました・・・』(第二テモテ一・十五)。忠実さを呼び起こすははずだったものが、すべて崩れ去ってゆくときの彼を見てみましょう。彼は事実上、一人で取り残されました。これまでにないほど、多くの敵に囲まれています。そして、悲劇的なこと、無念なことには、今の敵の多くが、かつて彼が仕えてきた相手であることです。


敵がいなかったころは、大きな困難はなかったのですが、今では、彼が多くの時間を共に過ごした人々が敵となっています。しかし、そこにはあきらめると言う考えはなく、その兆しも、気配すらありません。彼の言葉とは、『・・・死に至るまで忠実・・・』です。この管理者は忠実でした。彼が死んだときの状況を客観的に見て、そこに大きな成功のしるしがが現れていたとは、とても言えません。まったく、そうは見えません。パウロの生涯は、誰からも支持されるようなものではなかったのです。そう!彼は、とても孤独な最後を迎えましたが、忠実でした、『・・・管理者には、忠実であることが要求されます。』それでも、大きな犠牲を払いながらも、この要求の通りに彼が生きたことで、他の者たちはどれほど豊かになれたでしょうか。パウロは死んでいません!彼の働きから生まれ出たもの、彼の果たした務めが、私たちにどれだけ大きな意味を持っているか、パウロが知ってくれたらと、思わずにいられません。主は、そのしもべを通して私たちと会われたのであり、私たちは、パウロを通して伝えられたキリストの豊かさの深みを知らず、その奥底の近くにさえ達していません。私たちがこのまま生き続けて、今の人生の二倍、三倍の長さを生きたとしても、パウロの管理者としての忠実さのおかげで得たものを、いつも新しく見つけていくでしょう。これは、何世紀にも渡って続いてきたことです。これは忠実な管理者の働きであり、この管理者が地上での管理の責務から解放されたとしても、その働きはこの世に残ります。忠実さは、どんな時も、私たちの大きな欲望をはるかに超えて報いられます。主が私たちの忠実さを守ってくださいますように。その忠実さの故に、私たちの生活が完全な失敗に陥るように見えたとしてもかまいません。主は、私たちを良い管理者にしてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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