2020年10月5日月曜日

【Daily Open Windows】10月5日

十月五日

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、・・・・自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。(ヨハネ二十一・十八)

常に十字架の原理に常に基づいて生きているのでなければ、安全な場所はどこにもありません。安全であるためには、どうしても十字架が必要です。私たちの手の中に、安全なものは何もありません。主の祝福を受ければ受けるだけ、多くの危険が生まれます。最大の危機は、主が私たちを用い始めるときに訪れます。・・・・私たちの肉に関して言えば、神の富をゆだねられるのは、何よりも危険なことです。ただひとつの安全な場所とは、十字架が今も働いて、私たち自身から来るすべてのもの、私たちが自分だけで行うすべての行動に手を触れてくれるところです。


使徒たちを見てみましょう――例えば、ペテロは、いつも自分の思いで行動し、自分だけで何かをすること、自分のやりたいようにすることを好んでいました。彼は、いつもそうしていたのです。立ち止って誰かに何かを尋ねることをせずに行動する男です。ペテロが、兄弟である弟子たちと交わりを持ち、『私はこれこれをしようと思っているのだけど、あなたにもぜひ、そのことで一緒に祈り、そして、あなたの考えを教えて欲しい。私たちの気持ちがひとつになるまで先には進まないつもりだ』などと言ったことは想像すらできません。ペテロは決して、このようなことをしませんでした。何かを思いつくと、一人で飛び出してゆきました。主は、次のみことばで、ペテロの生き方をうまくまとめたのです、『あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます』(ヨハネ二十一・十八)。これが、十字架が心の中で働き始める前のペテロの姿でした。しかし、その後の彼はどうでしょう。・・・『ペテロとヨハネ』、『ペテロとヨハネ』、『ペテロとヨハネ。』

彼らはともに行動するようになり、お互いと深いきずなで結ばれています。これは、ペテロが協力と交わりの必要を感じ、最良の目的と動機に持って働くときでさえ、単独行動が危険と災難につながったことを認めたためではないでしょうか?十字架が、どのようにして、私たちの衝動的で自主的な性質、頑迷さ、自力への依存を変えてくれるのか、これは、その一端を示すものです。

十字架はこのようなこと全てに対処して、神のためにものごとを安全なものとし、また、主の知識が増し加わる道を私たちが歩み続けさせるのですが、今まで言ってきたように、この十字架が、主にとっての私たちの価値、私たちの有用性、私たちを背後から支えてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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