2020年10月28日水曜日

【Daily Open Windows】10月28日

十月二十八日

あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(第一ペテロ二・九)

『あなたがたは、聖なる国民』、すなわち、この世から神へと切り離された国民です。新生が意味しているのは、ああ、まさにその始まりの時点で、このことが決して変わらないと、すべての者たちに明らかにされたことです。主イエス様は、このことで疑う余地を全く残さず、そこで、完全で絶対的な分断が生じました。主は、民に対してあえて、危険を冒されます。あなたは、こう言いたくなるのではないでしょうか、『ああ、なぜ、彼らを遠ざけるのだろう、なぜ、彼らが気分を害するようなことをなさるのだろう、なぜ、いつでも、「これは違う、これは別、それも違う」と言い続けて、彼らの心をくじくのだろう?』ああ、この大きな危険を冒さざるを得ないと主が思われたのは、この現実、この恐ろしい現実のため、すなわち、どのようなかたちであれ、神に従わないこの国にあなたがしがみついている限り、天の御国を受け継ぐことはできない、それは絶対にあり得ないという事実があったからです。・・・・新約聖書はこのこと、すなわち、神聖さの中の歩み、心の中、霊の中、いのちの中で、この世から切り離されて、神へと向けられたこの歩みについて、非常に多くのことを語っています。そして、キリスト者としての生活の中、御霊の手の下で私たちが受ける教育、霊的な教育と訓練の非常に大きな部分が、私たちのこの混乱した状態を正すためのであることを、知ってさえいたら。・・・・


主は、人生と証しが際立っていること、他の人たちとは全く違う人生と証しであることを求めています。私たちの人生、愛する友よ、この世界、人との付き合いや社会とつながりなどの中にあるあなたの人生、私の人生は、他の人とは明らかに違っていて、私たちがどの世界に属し、私たちが誰に所属しているか、そこに明白に表れているでしょうか?間違いようもないほど、はっきりしていますか?それとも、私たちは、世や世の民と混じり合い、妥協し、悪魔の手の下で、うまくなれ合いになっているのでしょうか?そうなら、ひどい敗北を喫することになります。・・・・

私たちの人生には、何か非常に特徴的なもの、すなわち、あの男、あの女、あの若い男、あの若い女が神に自分を捧げきっていること疑いようがなく、そのことがいつでも外に表れていて、人生の全てを神に委ねており、彼らは何も軽んじてはいないし、一切の妥協がないと、人に言わせるようなものがあるでしょうか。確かに非常に厳しく聞こるでしょうが、これは必要なことです。ここにあるものが何か、あなたに分かりますか?愛する友よ、力の秘密とは神聖さにあります!間違いありません。力の秘密とは神聖さです。

私たちのいのちに力がなければ、それは、なぜか、どこかで、神へのこの明白な態度、神に向けた世からの分離が欠けているためであり、また、私たちを自分の陣地に引き込んでは、霊的な力と活力を奪っているこの世の君に対して、どこかで、何らかのかたちで妥協していることが原因なのかもしれません。力の秘密は、神聖であることです。他のことは何を忘れても、これだけは覚えておいてください!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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