2020年10月19日月曜日

【Daily Open Windows】10月19日

十月十九日

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。(エレミヤ三十一・三)

『わたしはこれまで、ずっとあなたに堪えてきた。あなたを愛しているからだ。あなたの身に、何が起ころうとも不思議ではなかったが、そうさせなかった。わたしはあなたに限りないがまんと忍耐、そして、あなたの永遠の幸せのために真摯な心遣いを示してきた。それも、あなたを愛しているからだ。わたしはあなたを生かし、この時間、この場所へとあなたを連れてきた。わたしはあなたを去らせなかった。』ああ、この言葉は、私たちの胸に迫らないでしょうか!自分では気づいていなくても、ただ神の限りない愛の故に、この呼びかけを今、聴いているのであり、その愛が、このことを教えるために、この時まで私たちをとどめておいたのかもしれません。


今、この話を聴いていることを、あなたは全くの偶然、人生に起こるたくさんの巡り合わせのひとつに過ぎないと思うかもしれません。しかし、真実として、あなたをこの時まで捉えていたのは、限りない神の愛であり、そこには、あなたにこの愛を知らせるという大きな目的があったのです。そこに偶然はひとつもなく、至上の愛だけがあります。『わたしはこれほどまでに愛したから、そして、わたし自身は完全な存在であっても、あなたなしではいられないから』――ああ、なんという不思議な神の愛ではありませんか――『わたしは、どうしてもあなたが欲しかったから、あなたを造った、そして、今、この瞬間、あなたを呼び寄せている。』とても理解できなくても、これが神のみことばが語っていることです。・・・・神は、本物ではない愛を欲していません。欲望を満たすために何かを求めるものは、決して愛ではないからです。それは、愛ではありません。神の愛とは、私たちが同じ愛を抱き、同じものを追い求めるようにします。そして今、実に不思議なことに、多くの人々が暗い苦しみの道を通って、神の愛を見つけだしました――かつては、自分を滅ぼすことを望んでいるとしか思えなかった神が、実は、彼らの敵ではなく、友であることに気づきました。・・・・どなたも、もう一度、聞いてみてください。あなたが自分のことを少しでも知っていたら、次の言葉を聞いて驚愕するはずです。しかし、もし、これを聞いてもなお、これまでの人生でもっともすばらしいこと、また、そうなり得たことと感じられないのなら、あなたの心は悲惨な状況にあるといわざるをえません。それは、主であるこのお方が、「私たち」のようなものにかけられるこの言葉です。すなわち、『永遠の愛をもって、わたしは「あなた」を愛した。』神ご自身が、この言葉から生まれる思い、この言葉の意味と価値、栄光と驚きを私たちの心に伝えてくださいますように。神が、そのような寛大さを示してくれたら、私たちも残りの人生を通じて礼拝するものとなるはずです。私たちの中にも、畏怖と驚きという性質が生まれ、そして、静かに歩み始めるでしょう。それが現実になったときは、私たちの自尊心はすべて塵にまで打ち砕かれます。そこに自尊心の入る余地はありません。そうなれば、すべての悪しきもの――自尊心、貪欲さ、強欲、利己的な考え、この世的な野望――は、取り除かれ、私たちは誰よりもへりくだって、感謝に満ちた民に変えられ、何とかしてこの愛に報い、主ための権能を勝ち取りたいと言う強い熱意に満たされてゆきます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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