2020年10月18日日曜日

【Daily Open Windows】10月18日

十月十八日

私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。(第二コリント二・十~十一)

おそらく、『サタンの策略を知らないわけではない』人たちのもっとも明白な問題のひとつは、具体的に主の役に立とうと考えた上で、神のための特別に霊的な行動を地上でしてこなかったことですが、このような行動に対する、サタンの敵意は、分裂、離脱、不和、分離、そして、交わりの妨害といったかたちを取って現れてきました。そして、分裂してしまった人たちは、神のことでは、お互いと一切、交流すべきではなかったのに、いつでも、本当にひどい心の痛みと傷が、壊れずに保たれているかのように、偽物の愛によって、うわべだけ繕われてきたのです。もう一度、強調しておくと、愛とは、『すべての人』に向けることを、主の民に課せられているものであり、それは、『家族の人たち』でも、他の人たちでも同じです(ガラテア六・十)が、交わりとは、それより大きなものです。ここで他の何よりも大きな衝撃を受けるのはもっとも霊的なものごとであり、繰り返しますが、ここに、サタンの大きな特徴があります。


敵がとる手段には際限がなく、人間の知恵では測り知れないほど『巧妙な策略』ばかりです。入り込む隙間を見つけて、お互いを疑うように仕向けるだけで、神の働きと霊的な進歩を完全に麻痺させるのに十分です。疑念を持ち始めたら、もうお終いです。前を向いた霊的な働きが、猜疑心によって、今ほど大きな危険にさらされたことは、これまでなかったのです。地獄のわざが大いに用いられて、疑い、疑念、隠し事のそぶり、雲、水滴、霧を吐き出し、人の心を不安、惑わし、偏見、恐怖、不信、疑惑、冷淡さに感染させようとしているようです。これが、もっとも顕著に現れるのは、『天的な人たち』の中、すなわち、霊的により高いところにいる人たちです。それは、空気のように、いたるところに広がっています。あなたの行くところ、どこでもそれを感じます。場所によっては、これはとても息苦しいものとなります――御霊の澄んだ息吹はなく、主のいのちのことばも、喉に詰まってしまいます。もちろん、これは、今に始まったことではありませんが、その力はずっと強まっています。新約聖書のいたるところに、そのことが書かれています。主イエス様は――霊的な人たちではなく、宗教的な人たちの中で――この状況に直面しました。ヨハネも、同じものに遭いました。パウロは、あらゆる方向でこれにぶつかりました。それは、パウロの人格、パウロの方法、パウロの性格、そして、パウロが伝えたことばを囲むように据えられていたのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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