2020年10月21日水曜日

【Daily Open Windows】10月21日

十月二十一日

いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。(使徒七・四十八)

キリスト教世界は、(美的な)感覚によって作り上げられている面が大いにあります――建築物、儀式、音楽、装飾品、照明(または暗さ)、調子、雰囲気、衣装と言ったものです。こういうものは、すべて魂に属しています。・・・・このような世界の特徴とは霊的な死であり、そこに、決意、『高き』考えと願いを求める気持ちはあっても、その世界に住む者たちの性質が純粋に変化することはなく、また、魂を自己満足させ続けて、良い気分でいるために、こういったものを摂り込み続けていくしかありません。あらゆる宗教は、この『魂』的に見える特徴を、大なり小なり、共通して持っています。たくさんの宗教的な人々が、致命的な過ちを犯したのはまさにここです。この人たちは、他のどの宗教も疑いなく敬虔で誠実なのだから、互いに干渉せず、それぞれの良いところは認め合い、受け入れるべきであると主張しています。ここでは、宗教を、聖書が意味する霊的であることと混同しているのです。宗教は、高い水準まで上がることもあり、また、ひどい深みまで沈むこともあります。ひとつのことが、その両方を同時に行うのです。しかし、それは人間の水準より上に行くことは決してできず、本当の神に届くことはありません。宗教とは、サタンが使う欺きの手口であるため、神の真摯な願いに対する最大の敵ともなりえます。禁欲的な生活も、霊的でないという意味では、欲におぼれる生活と同じです。厳格さ、自制、断食、禁欲的な冷たさなどの中は、真逆の行動と比べても、神の心にうったえるものはありません。純粋であることは、神に届く機会となるかもしれませんが、必ずしも霊的であるとは限りません。これは好みの問題なのかもしれません。・・・・


人間の感覚や判断の中で、神秘主義はどれだけ真実に近づくことができるでしょう!人間の想像力は、聖書の中にさえ、驚くほど不思議なものを見つけます!語ることに長けた魂から、聴衆や集会に向けて放たれる畏れ、驚嘆、恍惚が、聴く者の心を射抜きます!しかし、このすべては、神なる永遠のものはなにひとつない、偽物の世界かもしれません。それが、人生を作り変え、単調な暮らしから解放してくれたとしても、それで終わりです。

なんと人工的な世界に、私たちは生きているのでしょう!音楽が鳴り響き、ロマンチックな要素――派手な着物とか装飾品――が見え隠れして、人間的な性質が闊歩しているときには、そこに、自尊心と競争心が強く現れ、また、見せかけの力があたりに入り込んでいないでしょうか!そう、人工的な世界です。・・・・悲劇的なことに、このメロドラマが、多くの人々にとっての『現実の生活』となっています。この魂の世界は、悪魔が作ったまがい物です。それがどこにあろうと、また、何かの宗教と関わっていても同じことです。・・・・宗教や哲学として、また、体系化された真理と道徳、倫理的の教義として、『キリスト信仰』を受けとめれば、それは、一時的には、大きな理想を得たという気持ちをかき立てるかもしれません。しかし、ここから、いのちの再生、または、霊の新生は起こりません。今日の世界にはこのような、『キリスト者』の群れがあふれていますが、彼らには霊的な効果は何もありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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