2020年10月3日土曜日

【Daily Open Windows】10月3日

十月三日

むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ四・十五)

どのような宗教体系も、儀式や典礼で、外面を着飾ったり、内なる生活をそんなもので覆っているだけなら、偽物であって本物ではありません。神の働きとは、人間の性質を作り替えることにあります。そして、そこには、もちろん、二つのことが含まれています。ひとつは、人が砕かれることです。神が、御手の内に入ってきたいのちを救われることを、あなたが少しでも知っているなら、間違いなく、そのために行われべきことがたくさんあります――すなわち、前に進むために砕かれることであり、物事の根本に迫り、私たちに真実を悟らせることです。自分に何かの幻想をいだいていても、神に作り変えられたときには、それはすべて消え去っているでしょう。私たちが、自分自身、あるいは、自分の地位や働きのことで偽りの思いに動かされていたとしても、神が私たちを作り変えたときには、すべて無くなってしまいます。自分がどこまでも汚れきったものに思え、自分の義など、汚いぼろ布にしか見えなくなるまで、主は私たちを砕かれます。主は、私たちが砕かれることを望み、そのようにされます。


しかし、もちろん、どんな時でも、ものごとには別の面があり、神はただ、いつでも私たちを打ち砕こうとするだけではなく、私たちを築き上げ、すべての偽りであるもの、完全に透明で、真実で率直で明瞭であるもの以外の全てを憎まずにいられない、そのような境地へと私たちを引き上げてくれます。私たちの内なる人が、ますます、自分の偽りに抵抗するようになってきます。何かを大げさに飾り立てれば、たちまち過ちを犯したという確信になって帰って来ます。偽りの言葉を並べれば、自分が強く打たれ、真実を語らなかったことを思い知らされます。御霊の手の内に入って、神と同じように、自分が憎むただひとつのものは偽りであると言えたら、それは、実にすばらしいことです。『私は』と、ダビデは言いました、『偽りの道をことごとく憎みます。』私たちも、同じにならなければなりません。しかし、私たちは、真実を愛するものでなくてはなりません。そして、これは、私たちにどこまでも付いてまわります。私たちの生活の中へ、私たち自身の内側まで入り込むので、自分自身を偽ることができなくなります。神の前で、神が私たちをどう思っているか、正確に理解しており、光の中でどこに立っているかも知っています。・・・・

そして、私たちが主に近づくほど、御霊はこの真実という問題についてよりきめこまやかになり、より間近で私たちを助けてくれるようになります。『神を恐れかしこんで聖きを全うする』――まさしく、この全うするということが行われます。目標に近づくにつれ、主は、私たちの生活の中のあらゆる偽りを、より厳しさらけ出すようになります。これは、時間の問題ですが、神はとても真実なお方です――神は実に真実であり、何事も見逃すことはありません。私たちは、神が真実であることを望んでいるでしょうか?確かに、『その通りです』と答えるときは、心穏やかではいられないでしょうが、神が内なる部分にあるあらゆる矛盾、あらゆる不一致、あらゆる偽りを、真実をもって相対してくださるのは、良いことなのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: