2020年10月8日木曜日

【Daily Open Windows】10月8日

十月八日

大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ十二・五)

ここにある『からだ』ということば、用語は、単なる比喩ではありません。主のみからだの各部分のキリストに取っての存在意義は、私たちの肉体の自我に取っての意味と同じです――すなわち、それは、自分を現し、思いを表現し、また、何かを伝える手段なのです。この真理は、何よりも際立っていて、生活と奉仕のすべての問題の根源にまで至るものです。『主のために働くこと』、『主に祈ること』などには、その効果の大きさを左右する、より深い法則があることが分かります。


私たちは、キリストのための仕事――キリスト者の団体を計画し、枠組みを作り、立案し、組織し、また、着手すること――を引き受けた上で、そこに、神の証印と祝福を与えるように命じることなどできません。私たちが心の傾くままに祈ったからといって、たとえ、その祈りが、情熱や涙から生じたものであっても、神が応えてくれるという保証などありません。この事実に気付かない大勢の人々が、自分の熱心な働きが認められず、祈りにも応えがないといって、絶望へと引き込まれてしまいます。御自身が現実に生きた生活の法則を説明する中で、主がはっきりと強調されているのは、主が語られたことば、主がなされた働きは、ご自身のもの(主ご自身から出たもの)ではなく、その言葉を語られたのも、その働きをされたのも御父であったという事実です。

そのゆえ、ご自身の将来の働きのために、主は、弟子たちが主に留まるようにと祈りました。ですから、成果があって実を結ぶ生活、奉仕、祈りなどを行うための法則とは、私たちが主のすることだけを行う――しかし、必ず行う――という一致が存在することです。私たちは、キリストがしていることは何か、それをどのようにされているのか、主が用いられる手段、そして、それを実行される時間を自分の霊の中で知らなければなりません。それに加え、私たちの祈りも、私たちの中で、私たちを通して、御霊によって祈られる主ご自身の祈りでなければなりません。このことが、使徒の時代の教会が生きていた領域であることを明確に示します。このためには、イエスの名において行われる全ての働きを、ふるいにかけることが必要であり、また、主の考えが明白に示されるまで、何もしないことが要求されます。しかし、これによって、百パーセントの効果があること、そして、そこで決着したことがいつまでも続くことが確実になるのです。この時代における神の現実的な目的のために、キリストは、かしらなる主としっかり結び合わされたひとつのからだとなっており、その各部分に求められる課題とは、この統合の意味とこの集まりをひとつにしている特質をより完全に理解することです。・・・・私たちから見れば、それは、自分が完全にキリストの中にいて、御霊によって生きていると知ることです。そうすれば、他のことは全て、後からついてきます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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