2020年10月30日金曜日

【Daily Open Windows】10月30日

十月三十日

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(第一コリント八・一~三)

現実に、私たちは霊的な知識において(情報、事実の知識という意味です)、自分の本来の限界を超えるほどに、大きく前進していきながら、恐ろしい状況に陥ると、これまで何年もかけて積み上げてきたものが何の助けにもならないことに気づいて、大きな衝撃を受けることもあります。大きな出来事に直面して、こんなふうに言うしかありません、『知っていたつもりの現実を、私は理解していなかった。今までの知識は、何の助けにもならない。私は今、主ご自身の個人的で、生きた本物の知識の中にある礎へとまっすぐに引き戻されている。』ここで危険なこととは、もちろん、これまでに私たちが受けてきた全ての教えを投げ捨て、こんなものには何の価値もないと言ってしまうことです。実際には、価値がないのではありませんが、神の考えを頭の中で知ることと、聖霊が神の目的を達成するためにその知識を用いることは、全く違うと、私たちは気づかなければなりません。ですから、私たちは、ひとつひとつの知識の断片を持ち出して、主に本当の意味で吟味していただくことが必要です。そのひとつひとつを見ていただくとき、私たちの態度はいつも、このようであるべきです、『主よ、これまで私が聞いてきたことが、ただ聞いただけで終わってきたと示される、そのような時が来ないように助けてください。私が聞いてきたことを、神の目的に達するための聖霊の活動の基盤としてください。』


さて、この意味を捕らえることができたら、それは大きな解放へとつながってゆきます。なぜ、神の民が苦しみを受けているのでしょう?それは、彼らが御子の似姿に変えられていくためです。もちろん、そうなるために、必ずしも、世界がひっくり返るような変動が求めらるわけではありませんが、神はこの目的のためにあらゆる状況を利用されるので、悲劇的なことに、主の民の中にも、彼らが生きている世界を揺り動かされる人がたくさん出てきます。このような人たちは、キリスト教の外面的な性質、また、その全体的な構造と制度とにあまりに強く縛られているため、彼らが住む世界全体を根底からひっくり返し、分解し、破壊し、そこにたくさんの疑問を投げかける何かがなければ、神が目的とされる働きを、御霊が本当に始められる場所へと、彼らを引き出すことはできません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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