2020年11月10日火曜日

【Daily Open Windows】11月10日

十一月十日

・・・あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ローマ十二・一)

あなたには、いのちが与えられており、このいのちには、大きな信頼、大きな責任が伴います。このいのちは、自分の野心、自分の関心、この世的な利害や考え方の中にとどまったり、それだけで終わってしまうこともありうるのです。あなたは、自分のいのちを神に渡すことができますか?いのちを神の手にゆだねますか?いのちを祭壇に乗せて、神に完全に捧げ、短刀で裂かれるに任せますか?そうするなら、神はあなたのいのちを何倍にも増やし、神はあなたのいのちを広げ、自分の手にとどめておいた場合に比べて、そのいのちをずっと多く用いてくれます。あなたのいのちには、キリスト者として執着している何かがあって、それは主には渡さないのですか?何のことか、あなたは知っています。それに当たるものはなにか、私が考え得るものを列挙してみて、その中には入っていないでしょう。主のところへ行かせたくない何かが、自分の中にあることも、あなたは知っているはずです。主が指をその上に置かれたのに、あなたは尻込みしています。あなたは何かを言い返し、自分ではとても良い議論をしているつもりでいます。そこに間違いなく正しい論拠があると信じて、その何かにしがみついているのです。その裏にある真実は、あなたにはそれを切り離す覚悟ができていないということです。・・・


何かが起こって、これこそ主の道であると気づきながらも、私たちはただ主の時を待たなければならないときがあります。そのような時、私たちの意志の力が神の目的と合致してはいても、それが、豊かな実が結ばれる妨げとならず、他の人を傷つけず、他の人たちの苦しみの元とならないように心掛けなければならないのです。主の元に戻って、言わなければならないときがあります、『主よ、あなたは私に、これがあなたが備えた道であると示されました。しかし、このまま進めば、間違いなく、他の人たちに苦しみを与えてしまいます。私はこれが、あなたの定められたときであるという確信が欲しい。そして、今、私は自分の考えだけでこれを動かしているのではないことも確かめたい。あなたの御心を成し遂げるのは、私の意思の力ではありません。これを私は、自己犠牲の愛でやりとげて、人が何かを失う苦しみをできる限り小さくしたいのです。』

これまでにも、正しい目的を持ち、正しく主の願いを理解していながら、そのやり方のために、いつも、すべてを台無しにしてしまう人たちがいました。彼らは、神のものを手中にして、それ自体は正しいのに、自分の意思の力とないまぜにして、その力を損なってしまいます。これはいろいろなかたちで起こります。御心を行うために、私たちは心の割礼を受ける必要があり、また、自分を捨てて、御心を成し遂げる道を神に決めていただく備えができていることも大切です。主が、ご自身の言葉を解き明かして、実りあるものとしてくださいますように。これが、簡単でないことは分かります。私たちは皆、厳しく調べられ、誰もが大きな困難にぶつかるでしょう。しかし、ああ、天国で行われたことを見てください。そして、主は、みこころが天で行なわれるように、地でも行なわれることを望んでいると知ってください。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: