2020年11月20日金曜日

【Daily Open Windows】11月20日

十一月二十日

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(第一ペテロ五・十)

私たちのために、また、私たちの中で、行われなければならないことがあります。私たちは、何ごとかが私たちのために成される、すなわち、天が私たちの生活に介入して、困難が取り除かれ、私たちのためにまっすぐな道が引かれるといった流れで、ものごとが進むことを願っています。天が手を差し伸べる用意が整い、主が私たちのために働く備えができたとしても、それが全てだとしたら、主のためには不十分です――そして、私たちにとっても十分とは言えないでしょう――。霊的な成長と成熟の原理は、まさしく、主が客観的事実と主観的事実の釣り合いを保つことを求めています。すなわち、何かが私たちのために行われるとき、それは、私たちの中でも行われるということです。これもまた、十字架の原理です。主は、私たちのために死なれた――これが客観的事実です――。私たちが主の中で死んだ――これが主観的事実です。霊的な経験にはふたつの側面があります。主は、ものごとの釣り合いを保っています。


私たちは、この釣り合いを私たちの中で保っていただき、また、自分の問題がある時には主がかすんでしまう傾向、自分の立場をただ客観的に眺める慢性的な気質から、解放されて、こう自問し続けることをやめなければなりません、『このことで、主は私たちに何を教えたいのだろう?この問題で、主は私たちの中で何をしたいのだろう?私たちの中に、主が求めている何かがあるはずだ。』主が私たちのために何かを行うためには、まず、それを私たちの中で行います。主に対して新しい立場に付いた時や、私たちの中で何かが行われたとき、そこに、外に向けた動きがあったことを私たちは何度となく、気付いてきました。ですから、主観的な働きについて語るときに大切なのは、それを、私たちの内での変化が求められるものとして、心に受け止めなければならないことです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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