2020年11月8日日曜日

【Daily Open Windows】11月8日

十一月八日

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ三・二十八)

この摂理の中で、神は、ユダヤ人はユダヤ人として、異邦人は異邦人として迎えているのではありませんが、多くの人が、そのように誤解しています。主がユダヤ人に向けた言葉は、『あなたは自分のユダヤ人という土台から離れて、ユダヤ人としてではなく人として、神の前に立たなければならず、あなたがそこに立つまで、神から言いたいことは何もない。自分の土台に立ったままで神の前に来ることにこだわっている限り、あなたに光は当てられない。』他のすべての人たちにも、同じことばが投げかけられます。私たちは、自分という土台から、あらゆる意味で離れなければなりません。このことは、属する国のことだけでなく、他のすべての面で当てはまります。あなたは主に、こうに言い返そうとします、『でも、私はあれこれなんです、私はこんな者なのです、』または、『でも、私はあれこれではないのです。』大切なのは、あなたが誰なのかではなく、御子とは誰かと言うことです。主の土台に立ってください。主は、あなたが誰かということに基づいて、あなたを迎えることはしません。それが良い土台でも、悪い土台でも同じことです。主は、『天上にある者』という土台であなたを迎えます。あなたは、『私はあまりに弱い!』と答えるでしょうか。神は、その土台に立ってあなたに接しようとはしません、神は御子という土台の上であなたに会われます。御霊がパウロのこの言葉を通して、語っているのはこのことです、『・・・キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい』(第二テモテ二・一)。神は、『でも、私はこんなに弱いのです、主よ!』という私たちの叫びを聞かれますが、この告白によって、私たちが伝えたいこと、すなわち、『私の弱さの土台まで降りてきて、私を引き上げてください!』と言う願いに目を留めることはありません。『その場所を捨てて、御子のいるところまで来れば、そこで力を見出す。』と、主は言われます。『主よ、私はこんなにも愚かなものです!』主の答えは、『御子のいる場所にたどり着くまで、あなたは愚かなままです。御子は、あなたたちのための神の知恵とされたのです。』


生きていく上でいつでも、同じことが起こります。私たちは、自分本来の立場を保ちながら、主の前に立って、主が私たちをそこからすぐに引き上げて、もっと良い場所に置いてくれないことに驚きますが、主は決してそのようにはされません。このような心がまえでいる限り、私たちはいつまでも同じ場所に残されることになります。私たちに向けられる主のことばとは、『自分の場所を捨て、私の場所に来なさい。私は、天上にある者を備え、その者はあなたの必要なものをすべて持っている。今すぐ、その場所に来なさい。』あなたが誰であって、誰ではないのかということは、どうでもよいのです。その場所ではすべてが整えられ、良いものとされています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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