2020年11月16日月曜日

【Daily Open Windows】11月16日

十一月十六日

ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル四・十一)

なぜ、新約聖書には、このように前へ進むことを激励することばが、たくさん現れるのでしょうか?なぜ、新約聖書は、神の民が前に進むことに対する激励と励ましと警告であふれているのでしょうか?そして、なぜ、新約聖書は、これほど実践的な書物なのでしょう?それは、真の霊的な進歩と、主の臨在のためには、私たちの知識をすべて、最新の状態にしておくことが必要だからです。新約聖書の中にあることが何回、書かれているか、あなたたちは答えられるでしょうか。それは、荒野でのイスラエルの生活についての言及です。これもその部分です、『きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない。』何度も繰り返して、このようなことばが新約聖書に挟まれていますね。きょう!きょう!きょう!お分かりでしょう。このすべてが、今、この瞬間の現実とならなければならないのです。未来に向けて進歩するためには、今、この瞬間、私たちが知っていることを、実行に移すことが求められます。だから主は言われます、『あなたたちが進み続けるなら、わたしはともにいる。そして、前に進むとは、わたしがあなたに語ったすべてを実践し、行動に移すことを意味している。』主についての知識が成長するためには、日々の生活の中で、私たちが当てられた光に従うことだけが求められています。・・・・


ですから、主が何かを語るとき、私たちは、主のことばを取り上げて、こう言います、『このことで、実際に行わなければならないことがある。私はため込んだ知識の中に、これを放り込んで、終わりにはしない。自分が知っていることに、それを付け加えるだけではない。それが現実的に私に何を求めているのか、よく見極めてみよう。そして、その意味しているのか分かったら、主のところに行って、生活の中で、それを現実のものとして生かしていただこう。』兄弟たちよ、このような人たちこそ、前に進みます。彼らは、約束の地に入ることになります。彼らは、主の休息に入ることになります。彼らは、主の喜びへと入ってゆきます。それこそ主が求めるもの、すなわち、主が言われることの全てを受け入れて、それを実践する人たちだからです。ですからヘブル書の著者はこう言っています、『進もうではありませんか。』これ以外に、前に進む方法などあるでしょうか?私たちは、文字通りこの地上で、どこかに向かって歩いているわけではありません。私たちに約束された地とは、この地上、この世界のどこかにある場所ではありません。そうではなく、キリストこそ、私たちの約束の地なのです。キリストにおいて、私たちに対する神の目的が完了したのです。ですから、私たちは、キリストについて語られた全てを真摯に受け止めて、それを生活の中で実践しなければいけません。これが、前に進むということです。そして、これこそが主と完全にひとつになることを意味しています!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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