2020年11月24日火曜日

【Daily Open Windows】11月24日

十一月二十四日

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。(エペソ一・三、四)

この御言葉で、世界が造られる前から選ばれていた者、イエス・キリストを通して子供として迎え入れられるよう、あらかじめ定められていた者が、天にあるすべての霊的祝福を受けました。これは、ご自身の民への神の豊かな思い、完全で、すべてを包み込む、あふれるばかりの思いです。私たちはまだ、この祝福のすべてを受けるに至っていませんが、それは、神がまだ、与えていないからではなく、私たちがそれを受けるだけ、十分に成長していないからです。私たちは、あらゆる面で、主に達するほどに、成長してはいません。これが、上のみことばの大切な点、すなわち、神の思い、キリストのはかりに達したいと言う強い願いです。


神の御心とは何でしょう?キリストの満ちあふれる豊かさ、キリストの満ちみちた徳の高さ。これが、私たちに対する神の願いです。神の思いをしっかり理解しましょう。その思いを信仰によって、自分のものにしましょう。神の思いを信じましょう。その思いと足並みをそろえて歩み、また、聖霊とその活力が私たちをかたち作り、私たちを新しく作り直して、それによって、神の願いが私たちの中に生きいきと現れることを求めましょう。私たちをキリストの満ちあふれる豊かさへと引き上げることが主の目的です。私たちはただ、このことを決然とした事実とした述べればよいのですが、しかし、いいですか、ここには山のように大きな責任が伴います。このようなことを、私たちが語ったり、聴いたりするときは、必ず、大きな責任の下に置かれます。みことばを通して、キリストのうちに、天から送られた神の啓示、また、聖霊によって私たちの心に伝えられた啓示があれば、それによって、私たちは非常に大きな責任を負うことになります。責任についても、話さなければいけないでしょうか?神の私たちへの思いは、私たちの心に、ことばにできないほどの感謝と礼拝を引き出すものではないでしょうか?同じ召しについて書かれている次のみことば、『神は、ただみこころのままに・・・、』をただ主のよろこびと捉えてはいないでしょうか?ヨシュアとカレブが、かの地のことを報告したとき、なんと言ったか、覚えているでしょう、『もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちを導き入れてくださる。』私たちが、持っているものはこれしかありません。キリストとは、神の豊かさで満ちた土地であり、私たちがその豊かさへと招き入れられるなら、それは、神がご自身の御心のままにそうされるのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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