2020年11月21日土曜日

【Daily Open Windows】11月21日

十一月二十一日

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(第二コリント三・十八)

神のいのちの輝きに生きていれば、私たちの顔がその輝きを曇らせることもあると、私は考えています。私たちが本当に主とふれあって生きていれば、世はどこかで気づくはずであり、そこには、霊的な者だけが味わい、理解することができる言葉が聞かれるでしょう。アブラハムの種に霊的に感応する者たちがいて、彼らは他の誰とも違います。さて、『教会』と呼ばれるものの悲劇とは、これまでいつも、また、おそらく、今日もこれまで以上に、この区別が失われつつあることです。今日の世界では、お互いとの対立、互いの違いを無くしていく方向で、また、相手に取り入って、自分と衝突しない人たちに近づくことによって、人間の集まりが出来上がっているのではないかと思います。そう、これが、私たちを取り囲む宗教世界で行われていることであり、時代に合わせようとしているのです。しかし、五旬節の時に起こったことの本質を見れば、その場にいた霊の人々は、その存在自体が全く人とは違っていたし、他の人たちともあらゆる面で異なっていたのであり、そして、彼らの強さと影響力はこの差異の中にあったのです。他の人たちとなれ合うことができないのは、彼らが不器用で、付き合いにくく、人をいらだたせるからではなく、彼らの霊的な気質のうちに際立った何かがあるためです。そのことに気づきさえすれば、それが、この世に彼らが影響を及ぼす秘密となります。


主にある霊的ないのちの進歩と成長の結果とは、神の子供たちと、そうではない世にある者たちのあいだを隔てる違いが、広がり続けることです。これを、言葉通りの意味で捕らえて、私たちは社会から隔絶された新しい制度を作って、自分自身を締め出し、人との関係を断ち切るようになるのだと考えてはいけません。これは、聖書の原理原則の誤った捕らえ方です。誰よりも優れた私たちの模範であった主イエス様は、どのような輪の中にも入り込めたし、意識して収税人と罪人たち、あらゆる階層の人たちの中に入られましたが、主が彼らを支配した力は、彼らとの基本的な違いの中にあったのです。時代に合わせなければならないという大きな動きの中に、自分が捉えられていないか、注意しましょう。自分を時代に合わせることは、霊的な力を失わせます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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