2020年11月14日土曜日

【Daily Open Windows】11月14日

十一月十四日

私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得(ることができる、という望みがあるからです)。(ピリピ三・八)

人間は、キリスト教と真実について、自分なりの解釈を作り上げ、体系立てた考え方を取り入れてきました。そのため、全てが混乱しきってしまい、ネヘミヤのような明白な判断力を持つものでない限り、何が神から来て、何が神から来ていないのか、まったく分からなくなっています。善良で正直で誠実なキリスト者でありながら、宗教的に、何が神から来て、何が神からではないのかということになると、恐ろしく深い霧の中にいる人たちが大ぜいいます。人間の宗教体系がこの混乱を引き起こしたため、数多くの正直な人たちが、自分たちは神から来たものの中にいると、心底、思い込んでいて、そして、神から来ていない、人間の手で作られたものがあれば、自分はそれを判別できると信じています。『・・・ちりあくたは山をなして』います。


パウロもその一人でした。これまでの生活、特権、そして、先祖から継承したもののことで、かつての彼は、その全ては、間違いなく神が自分のために備えたのであり、自分が神の御心の中にいると信じていたのです。その彼にも、こう述べるときが来ました、『私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。・・・・私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得』るためです。かつてパウロは、生涯を捧げた伝統的な宗教体系こそ、神から生まれたものと信じて、その中に生きてきたのですが、それが、今では、ただ表面的な様式と形式的な律法となり果てました。それでも彼は、光を当てられて、キリストの完全さに比べれば、こういったものがちりあくたに過ぎないことに気付くまで、それは全て、神から来ていると信じ込んでいました。それが今、彼はとても強い言葉を使い、『犬に投げ与えるべきもの』とまで言っています。タルソスのサウロがユダヤ教を犬に投げ与えるというのです!彼が、こう言ったのはキリストを見たときです。あなたも、キリストを見るまで、ごみの中から抜け出すことはできません。キリストの豊かさを示していただくよう主にお願いすれば、これまであなたを掴んで離さなかったものがただのちりあくた、犬に投げ与えるものに過ぎなかったことが分かるはずです。かつては、神から来たものと、神から来ていないものを明確に分ける境界線だった場所が、今ではゴミであふれ、混乱と不純物で占められています。私はあえて、このことを徹底的に掘り下げることはしません。主は、私たちに啓示を通して、何がちりあくたであるかを示されるのですが、実はこの単純な一文の中に真実が込められており、あなたと私は、宗教的なことがらの中でさえ、どこまでが人でどこからが神なのか、どこまでが神でどこからが人なのかを示してくださるよう、主に願わなければなりません。それによって、本来、人間が神のものに上乗せしたり、付け加えた多くのもの解放されて、私たちは、ゴミが取り除けられた地盤に降り立つことができます。事実、今日のこの世界には、取り除かなければならないたくさんの教会論的なゴミが積み上げられています。これは、主イエスの完全な証しを取り戻すための大きな障害となっています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: