2020年11月17日火曜日

【Daily Open Windows】11月17日

十一月十七日

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ八・二十八)

あの場所へと戻ってみてください。主が、しばらくの間、あなたを置かれた場所、主が、どれだけの試みと困難と苦しみがあっても、抜け出そうしないで、そこで人生を生き、そこで働きをするようにとあなたを召されたあの場所です。その場所から抜け出すことをいつも望みながら生きると、その場所が今、もっている大きな価値を見過ごすことになります。そのようなことをせず、その場所に戻って、あなたが主のもので、神を愛し、目的があって召されたのであれば(あなたがキリストの中にいるなら必ずそうです)、神があなたとともに、あなたの中で、そして、あなたが置かれている状況を利用して、何かをなそうとしていることに気付いてください。抜け出そうとすれば、あなたは神の目的を踏みにじることになり、主の意図を、理解することも、受け入れることもできません。これまでの人生のある期間を振り返ってこう言わなければならないとしたら、それ以上に残念で悲しむべきことはありません。すなわち、『人生のあのとき、神の大きな目的に対して、あのような態度を取らず、違う考え方をしていたら、神の目的に気づいていたはずだ。私はいらだつばかりで、忍耐がなく、いつも逃げ道を探していた。私は反抗的で、自分で作り出した別の精神世界に住んでいて、その中で自分でこれになるとか、あれをするとか、勝手に決めていた。だから、あのとき、神が意図されていたことをすべて見過ごしてしまったのだ。』これほど悲惨なことなど、ほとんどあり得ません。


ですから、私たちは、主がかつて、私たちを置いたあの領域、あの状態へと戻り、そこで、次のような心がまえを持たなければなりません――神には、信じるものの一人である私についてのお考えがある。そして、その意図とは、人生の中の辛い状況と苦しみを通して、私の中に御子の性質を作り上げることだ。一面では、古い創造から来る性質が、これまでよりも一層、恐ろしく、ひどいものとして、自分自身の中に現れてくるようになるだろう。しかし、神は、それを乗り越えて、私自身とはまったく違うこと、まったく私ではない何ごとかをしておられる。主は、完全に別のもの、あらゆる面で今までと違う何かへと、私を作り変えようとしておられ、それは御子に他ならない。ゆっくりと、少しづつではあるが、それでも、何かが起こっている。神の子供になるとはどういうことか、まだ明らかではないが、すぐに、現わされようとしている。神がこれまでされてきたことは、いつか、光の中に現されるときがくる――それは、御子の似姿に変えられること、『それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。』こうして、私たちは地上にいる神の民と向かいながら、自分もその一員であることを認め、そして、なぜ、私たちがここにいるのか、その理由について、一致した考えを持たなければいけません。行うべきことはあっても、神は、何をするかということよりも、何であるべきかということを、はるかに重視しており、私たちは奉仕とは何かということを、初めから学び直さなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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