2020年11月4日水曜日

【Daily Open Windows】11月4日

十一月四日

私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。(ヘブル六・一)

初めにいたところに留まることをせず、前に進みましょう。では、『前に進む』とはどういう意味でしょう?私たちにとって、これはもちろん、霊的に前進することです。私たちは新しい摂理の中に生きていますが、これは霊的な摂理です。しかし、『前に進む』ことの意味として、あなたたちに考えていただきたいことがひとつあります。荒れ野にいたイスラエルの民にとっては、それは実際に、地上を前に向かって歩むことでしたが、私たちにとっては、霊的に前進するという意味になります。このヘブル人への手紙をあらためて読めばお気づきになると思いますが、霊的に前に進むとは、主が言われたことを実践に移すということに他なりません。私たちは、主に何かを教えられるだけでは前に進めないことが、お分かりですか?なんだか、おかしなことを言っていると思われるかもしれません。主は自ら、私たちに語りかけることができます。私たちは主のみことばを受け、主がくださるたくさんの教えを自分のものとし、神の真実をすべて知って、何年にも渡ってその真実に従い、全てを受け取っていながら、まだ、立ち尽くしたまま動かないでいることもありえます。いいえ、それは主が言われたことを理解できているかと言う問題ではありません。それを、実行に移すか、どうかということです。主が言われたように実行することが、前に進むただひとつの道です。


では、私たちは、どのように前に進めばいいのでしょう?静かに座って、こう言ってください、『主は私たちに今、何を言われたのだろう?』もしかすると、それは、ここ四,五週間のことかもしれないし、何年にも渡って言われてきたことかもしれません。・・・・さて、主のみことばを読むことを通して山のような真理を学びながら、今も、前に向かって進み始めることができず、主ご自身が望んでおられるように、私たちとひとつになっていないかもしれません。主の臨在とは力であり、主の臨在はいのちであり、主の臨在とは聖さです。ああ、主の臨在は実に多くを意味していますが、そのすべては、本当に実践的なことなのです。主は、理屈を信奉するお方ではありません。教科書すら信じるお方ではありません。主は、まさしく実践的な主です。そして、主は私たちにこのように接します、『ここを見なさい、わたしはあなたにこう伝え、あなたはそれを聞いた。』おそらく、あなたはそれを聞いて喜んだのです。おそらく、それが真実であると信じたのです。おそらく、あなたはこのことで主に感謝しています。でも、私たちはそのことで、何をしたでしょうか?

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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