2020年11月7日土曜日

【Daily Open Windows】11月7日

十一月七日

あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(第一ヨハネ二・二十七)

キリストの学校、すなわち、キリストご自身が大切な教科であり、御霊が偉大な教師である学校、その教えが客観的ではなく主観的である学校、ものごとを教えるのではなく、心の内側でキリストを自分に取り込むことを経験から学ぶところ――それがこの学校の特徴です。『天が開けるのを、あなたがたはいまに見ます。』『天が裂けて御霊が自分の上に下られるのを、ご覧になった。』御霊が注がれるとは、何を意味しているのでしょう?それは御霊が、絶対的な主という位置を占めることであり、それ以下でも、それ以外でもありません。油注ぎには、聖霊、主としての御霊の絶対的な支配が伴います。これは、他のあらゆる支配、すなわち、自分の生活の支配、自分の心、自分の意思、自分の願いの支配、他の人たちからの支配が排除され、捨て去られたことを意味します。個人的な関心と外からの影響による支配が、聖霊による分かれていない無限の支配によって置き換えられたと考えるべきであり、それが起こらなければ、油注ぎを知ることも、喜ぶこともできません。・・・


あなたは聖霊による油注ぎを求めますか?なぜ、聖霊の油注ぎを求めるのですか?油注ぎは本当に、あなたが切望しているものですか?その目的は?あなたが用いられること、力を持つこと、影響を与えること、驚くべきことをいろいろと行うことでしょうか?油注ぎが意味するもっとも大切なこと、もっとも優れたこととは、油注ぎが教え、油注ぎが行うように導くことでなければ、私たちが何もできなくなるということです。油注ぎは、私たちの手にあるすべてを奪います。私たちが人からどう思われるか、油注ぎが決めることになります。神の本当の目的がなされる責任を、油注ぎが負うことになります。油注ぎは全てを徹底的につかさどるので、その瞬間から、全てが聖霊の手の中にあります。キリストを学ぼうとするなら、キリストの学びは聖霊からの手助けによって行われること、そして、これは、原則と律法の両面で、キリストが歩まれたのと完全に同じ道を私たちも進まなければならないことを意味していると、私たちは覚えておかなければなりません。・・・・

『子は、自分からは何事も行なうことができません。』このように、油注ぎには負の側面もあるのです。これに対して、正の面は、ただひとつのことばで表されます――御父だけ――。これは、油注ぎについて私たちが持っていた考え方と少し違うのではないでしょうか。『ああ、聖霊に油注がれる!どのようなすばらしいことが起こるだろう。人生はどれほど良いものになるだろう!』油そそぎがもたらす、もっとも大切で、いつまでも変わらない事実とは、私たちが神の御霊による支配に完全に捕らえられるので、主がされなければ、そこには何ひとつ起こらなくなるということです。本当に何ひとつです!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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