2020年11月29日日曜日

【Daily Open Windows】11月29日

十一月二十九日

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。(ヨハネ一・十六)

主が祝福し、栄えさせたとき、そこで自分も大きな者になってやろうと思った人が多くいたのではないでしょうか?この動きは必ず大きくなる!私にとっても、大きな機会だ!働きに手をつけると、すぐにそれを、個人的な行動に変えようとする人がいます。歴史の中で、このようなことが行われてきました。神の働きにとって、もっとも危険なのは、祝福の時間です。祝福があるところ、いつも、人々が集まってくるのですが、彼らは、神の目的を見据えているわけではなく、祝福のあるところに個人的な幸福を見ているのです。・・・


主は、キリストの完全さに近づくように呼びかけておられ、時には、その途上で、ご自身の力が働き、主が私たちとともにおられることを示されます。世が私たちと対立し、悪魔が立ちはだかっているときも、主は、ともにおられることを垣間見せてくれます。それから、その道すがら、もっとも恐ろしい危機が訪れるのです。すなわち、私たちは、すべてのこと、すべての人、また、悪魔自身をも取り合うことをやめます。この道を進み始めた私たちは、主に支えられている!私たちの正しさは認められているのだから!これは、とても危険な態度です。主は、言わざるをえません、『わたしは、サタンが稲妻のように、天から落ちるのを見たのだ!悪霊たちがあなたに従うからといって、自分の手柄のように満足してはいけない!』これは、主の祝福の中で、間違えた誇りを持ってしまうのと同じ過ちです。私たちは揺るぐことなく進み続けて、励ましをいただいたら、それを受け取り、静かに主に感謝し、そして、与えられた働きに取り掛からなければなりません。主の祝福の果実に、自分だけで満足して喜んでいてはいけません。

実際には、多くの土地がこのような状態で覆われています。主のために行っている働きがうまくいっていること、たとえば、何人の人が集まってきているとか、いくつの魂が救われつつあるとか、自分がどれほど用いられているか、主の証印があなたに押されているといったことを、人前で語って、そこに大きな満足を感じていることがよくあります。自分では気づかないうちに、肉の名誉に執着しているのです。私たちにとって危険であるがゆえに、主が私たちから隠さなければならないものが多くあります。私たちの肉が、それを危険にするのです。私たちは、逆境だけではなく、祝福によっても試されます。もっとも鋭い試みの炎が、成功や繁栄から放たれることも多いのです。私たちの心が主だけに向けられているか、それとも、世のものに固執しているのか、この試練が暴き出します。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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