2020年11月27日金曜日

【Daily Open Windows】11月27日

十一月二十七日

人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。(使徒三・九)

『ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい、』すると、彼はおどり上がった。ことばにすると簡単ですが、その行動は、まことにすべてを完全に一変させるものでした。この男はすぐに、自分に神の栄光が現れたことを知りました。彼は、おどり上がって神を賛美し、その栄光をたたえました。自分の心、自分のたましいに、この気持ちが起こったのです。彼は自分が変わったことを知り、神の安息の中に憩うようになりました。・・・・


この男は、その場で論じ合っていた人たちに答える証しでした。群衆のあいだに、力強く立つこの男を見て、誰もが口をつぐんだのです。もはや、論じ合うものはいません。教義、理論、教えや真実の解釈のことであれば、議論が起こったでしょうが、今は生きた証しが目の前にいます――反論することなどできません。最大のしるしとして、生きた人間が目の前に立っているのを見たら、あなたも口を閉じるはずです。私たちは、人々の口を閉じさせるでしょうか?私たちは、自分たちが信じ、教え、説き明かす真実によってではなく、自分が何者であるかということ、自分が良いものを持っていることによって、人の口を閉じさせるべきです。私たちは、そのようなものでしょうか?あなたたちは、そのようなものでしょうか?あなたたちは、そうなっていくのでしょうか?議論を止める本当の答えとは、人々のこんなことばです、『そうだ、この人たちを見てみろ。彼らが受け入れた教えや、彼らが作った団体のことではない。いやいや、彼らそのものを見てみろ。以前の彼らが、どうだったか、あなたも見ていただろう。彼らはどれだけ、見下されてきたか。彼らの精神はねじ曲がっていたし、社会のお荷物で、彼らには安息がなかった。しかし、今の彼らを見てみろ。本当によいものを持っている。彼らはよいものに囲まれている。大切にされているし、存在する意義がある。それに、彼らは、安息と喜びと満足に包まれている。彼ら自身が変わったのだ!』このことばにどう答えますか?正直になろうとするなら、ことばで言い返すことはできません。

ああ、愛する友よ、外に出て行って、何かの教え、何かの真実を人に伝えようと試みてはいけません。それでは、相手を説得できません。あなたも私も、自分のすがたの中に、主の安息を現し、主の平安を現し、主の強さを現し、そして、何かの価値が持っていて、その故にこそ、人に確信を与えるものとして生きるべきです。私たちは責任を負った者たちであり、私たちは前向きな要因であり、私たちは資産であり、そして、主は、私たちがいることによって何ごとかを得ています。こうでなければならないのです。そうになっていますか?あの足なえの男と同じ道を歩んで、こう言えたら、この全てが実現します、『そうだ、もうあまりに長く続いてきたこの人生を終わらせなければならない。終わらせるために、私自身から行うべきことと言えば、今すぐ、真摯に、偽ることなく、神の恵みによって、心を傾けて、厳然とした信仰の態度を主イエス様に向けて取ることだ。それは、私の完全な解放のためであり、主の栄光、主への賛美のために、この両足で立つためだ!』困難はあっても、必ずこうなるはずです。すなわち――『男は、おどり上がってまっすぐに立ち、神を褒め称え、神を賛美した。』私たち一人ひとりが、このようでありますように。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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