2020年7月11日土曜日

【Daily Open Windows】7月11日

七月十一日

私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル四・十一)

ここにあるように、主の安息にはいることができなかった者たちは、落後しました。その前から福音を伝え聞いていた者たちが、安息にはいれなかったのです。これは、注目すべきことです!福音は、彼らに向かって伝えられていました。彼らこそ、前から福音が繰り返し述べ伝えられていた者たちでした。福音とは何でしょう?この関連の中で答えるなら、それは、私たちの安息としてのキリストです。これが福音です。私たちの安息としてのキリストの福音は、彼らに向かっても、型どおりに伝えられ、前からこの福音を聞かされていながら、彼らは安息にはいることができなかったのです。だからこそ、この使徒は言っています、『ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。』彼らは落語しました!神は、また別の時、この言葉で教えられました、『きょう、もし御声を聞くならば・・・心をかたくなにしてはならない。』信じる者たちが主の安息に入れるようにと、福音が語られました。主イエス様は、次のように語って、このことを、生命を持った真実のかたちにされました、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。』天におられるキリストこそ、私たちの霊的な安息、心の平安です。


安息を作り出す要因とは何でしょう?それは、満足と確信です。心が満ち足りていれば、どれだけの働きをしなければならないとしても、あなたは安息の中にあります。そして、自分の働きがうまくいくだろうという強い確信があれば、あなたは安心した気持ちでいられるし、安息の中にあります。私たちにとってのすべては、『先駆け』として入られ、私たちの『安息』となられたキリストを基としています。私たちは疲れ、持てるものをすべて吐き出し、力を使い果たし、酷使されることになるでしょうが、その全ての中に、本当の心の安息があります。私たちは非難され、あらゆる方向から急き立てられ、落胆させられ、試みを受けることになりますが、それでもなお、キリストが私たちの安息であり続けます。なぜなら、第一には、このようなことのために私たちが滅んでしまうことはなく、主がすでに滅びの力を撃ち破られたと知っているからであり、そして、第二には、主が勝利のうちに死を滅ぼされた以上、私たちの労苦は決して、むだになることはないからです。主こそが私たちの安息です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: