2020年7月12日日曜日

【Daily Open Windows】7月12日

七月十二日

私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。(第二コリント二・四)

主にとって大切なものの中で、いっさいの苦しみももたらさずに、財産として民に与えられるものはひとつもありません。それが、民の財産となるのは――その意味では――民がそのために苦しむからであり、このことを非難する者は呪われるべきです!何かから、あなたの心が離れていて、あなたが証しからも神の働きとも結びついていなければ、好きなだけ避難すればいいでしょう。あなたは、そのことと、内なる心のつながりが全く持っておらず、自分の判断をその上にくだすだけです。しかし、あなたがその中にいて、苦しみを味わったら、また、あなたの生活の中でそのために損失を受けるなら、そこに多くの欠点や間違いがあったと判断するだけ終わりにはなりません。相手を批判し、さばき、過ちを指摘するだけで終わるのは、苦しみを経験していない人たちがすることです。


また、別の面では、私たちはたくさんの用語、たくさんの言いまわし、たくさんの教義、たくさんの真理を知っており、それは客観的で、私たちが聞いてきたものかも知れません。ずっとその中で生きてきた私たちは、そのことをよく知っています。しかし、それが本当に私たちのものになるために、主がされるのは、私たちを、そこから生じる苦しみへと導くことです。主は、そのことを私たちの心の深い奥底へと関わらせるので、もうこんなふうには言えなくなります、『このことはもう全部、知っている、そのことは何から何まで聞いたし、あなたに教えてもらわなければならないことなど何もないよ。』主は、そのこととの関わりの中で、多くを失わせ、深く、痛みを与えるようなかたちで働かれ、それが苦難を通して私たちのものとなるように、私たちが新しい立場に導かれるようにされます。

私たちは、傍観して、批判するだけの観客ではありません。内側にいて、外を見張り、守るものです。私たちは、それをねたむ者です。苦しみは、人を強くきよめます。苦しみは、身勝手さを砕きます。たくさんの問題のもとになっている利己的な心を打ち壊します。それは、私たちが、私利私欲を離れて、神なるものを乞い求める者にしてくれます。そう、苦しみが人を純粋にし、また、苦しみがこの深く内的なつながりを生みます。苦しみは、ものごとに、あらたな特徴を付け加えるものです。この付け加えられた特徴のゆえに、私たちは人の過ちばかりを探しては、批判する態度を持つことができなくなるのであり、この新しい特徴には、幾重にもなった罪を覆い隠す愛があります。私たちは、ともに苦しみを味わってきました。ともに苦しむとき、私たちはどれだけのものを乗り越えられでしょう!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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