2020年7月19日日曜日

【Daily Open Windows】7月19日

七月十九日

「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。(ヘブル十二・二十六―二十七)

事実はどうかといえば、新約聖書の教会の特徴というべきものも存在するとはいえ、新約聖書の中に何か、完璧な様式が示されていて、それに従うだけで、教会を立ち上げ、かたち作ることができるようなことはありません!新約聖書には、教会の青写真などというものはなく、新約聖書に沿った教会を形成しようと試みても、すでにどこかにあるのと同じ律法的で、偏狭な、死んだ制度が新たに生まれるだけのことです。この世の教会は、主の教会と同じように、主にあるいのちから生まれ出る有機体であり、そこでは、『いのち』自体がキリストの十字架から湧き出して、信じる者たちの存在の中心に向かって働きかけています。


このことが、私たちをある状態へと導いてゆきます。この迫りくる洪水のような試練、これまでにも、あまりに多くのキリスト者と呼ばれた者たち、福音的なキリスト者と呼ばれた者たちをも流し去った試みが、目の前に近づいているとき、差し迫って必要なものとはなんでしょう?答えはひとつだけです―一方では、それは務め、すなわち、人を、『根を下ろさせて、動かないものとすること、』信じる者たちを確立し、築き上げること、そして、『キリストの量り』を真に増し加えることを、その本質と目的とする務めです。この務めが、福音伝道を後ろから支えて、働きが、深くあって、浅はかではなく、永続的であって、一時的ではなく、本質的であって、一般的なものとならないように助けなければなりません!他方で、信者たちは、自分たちのキリストへの信仰を、正しく吟味することが必要です。私たちの信仰は、ただの伝統、思い込み、外にある制度――多少なりとも――世間一般から受け入れられるものになっているでしょうか?それとも、本当に心の中への『イエス・キリストの啓示による』ものでしょうか?真に神とともにある歩み、そして、広がっていくキリストの知識、御霊の中の生活がありますか?神は言われました、揺り動かされ得るものは、必ずそのようになると。決して揺り動かされることなく、残るものを、私たちは何か持っているでしょうか?

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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