2020年7月20日月曜日

【Daily Open Windows】7月20日

七月二十日

イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。(ヘブル十三・二十一

神の目的に沿って生きている限り、神の働きは私たちの中で続いてゆきます。まず第一に、問題となるのは私たちの行動ではありません。神は、私たちが神のために何をするかということより、私たちの中で何が行われているかということに、より大きな関心をもっています。神は、私たちがたくさんの働きをしているときより、何もしない状態にあるときの方が、私たちに対する目的をよりよく達成できることも多いのです。神なる陶器師の手がモーセの上にあったのは、モーセが荒れ野にいて、ほとんど何もできなかった時です。四十年間、彼はわずかな羊の世話をしていただけです。これは、大した働きではありません。モーセも時には、自分がここにいる目的は何なのか、自分の人生には価値があるのかと悩んだことは間違いありません。しかし、諸侯と権力者たちは、そこに何かを見て、神の知恵に驚嘆しました。神は、この男に何を備えればよいか、どうすればこの人生に御心を遂げられるのか、よくご存知でした。これは、多くの神のしもべの場合にも当てはまることです。神は、益をなすために働き、ご自身の器を形作っています。神が私たちになさるすべてのことに知恵があります。しかし、私たちは、自分自身の計画や個人的な欲望を持たないように、気を付けなければなりません。粘土は、完全に御手にゆだねられなければなりません。私たちが本当に神のためにここにいるのなら、神が必ずその目標に果たすこと、私たちの中で御目的を実現されることを確信できます。そこで、私たちは強さを見いだすことになります。


あなたには、自分が神の大きな目的の中にいると確信できますか?誰もが、この目的に参加しているのです。このことをパウロは、教会について話す中で、こう説明しています、『からだ全体は、一つ一つの部分が、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされるのです。』体には、役割を持たない器官はひとつもありません。ひとつひとつの器官が、神の目的の中になければなりません。中には、非常に小さな器官もありますが、それでいて、全てが等しく大切なものです。神には、私たちを召された目的があり、その目的は、自分を主に捨てるときに達成されることを忘れてはいけません。神が私たちを召された目的が何であれ、私たちはそのために備え、実行しましょう。聖霊に支配された生活には、必ず明白な目的があります。そのような生活で失われるものは何もありませんから、誰にも当てはまる考え方を信じないようにしましょう。そのような考え方は、十分ではありません。私たちの人生に対する神の考えには、ずっと明確なものがあります。私たちは、個人的な欲求は全て捨て去り、――『直ちに』――動くように急き立てる霊で満たされましょう。自分が神に召されていることを知り、自分の人生の目的をはっきりと認めている人たちは、そのために全てを捨て去るようになります。そのような人たちは、地上のものにはもはや関心を持ちません。彼らには、無駄にしてよい時間はないのです。自分の時間は、自分で使い切るしかありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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