2020年7月13日月曜日

【Daily Open Windows】7月13日

七月十三日

主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。(詩篇百二十五・一、二)

山々?しかも、主が山々のように?いったい、何のことでしょう?それは、要塞であり、力であり、護りのことです。では、防御すべき敵がいないのに、要塞を築く意義とは何でしょう?旧約聖書の時代に戻り、人間が新しい土地に移るとき、低い土地ではなく、高い土地だけを選んで住んだことに注目されます。彼らの街、都市、村々のほとんどすべてが、高い場所に築かれていたことがわかるでしょう。その理由とは、戦車と馬を持っていた彼らの敵が、平坦な低地では非常な強さを誇っていたのに、山場に対しては、その戦車と馬が役に立たなかったからです。まさしく、このために、主の民の安全と護りと防御は、高い土地に住むことによって保たれていたのです。


これは、ひとつのたとえです。敵が、あなたを自分と同じ高さにまで引きずり下ろすことができたら、あなたは倒されます。そのために、敵はあなたを引きおろし、あなたを倒れさせて、あなたのために神が備えた完全な場所と思いよりも矮小なものを受け入れさせようとこころみ、こうして敵はあなたを破滅させます。これこそ、敵が、教会、今日、非常に一般的な意味で言われる教会に対して行ってきたことです。敵は、教会を地上の水準まで引き下げ、教会をこの世にあるものと同じくらいまで小さくしました。そして、教会を徹底的に崩壊させ、分断し、分裂させて、その力を奪ってきました。新約聖書の中で私たちの前に現された教会は、いつも高いところに置かれています。・・・エペソ書では、『キリスト・イエスにおいて、ともに天の所』とあります。高い土地にいることは、それ自体が大きな強みであり、強固な防御的、保護的な力となります。高い場所にい続けて、下に降りることを拒めば、敵があなたにできることは、ほとんどありません。ネヘミヤは、敵どもが、『降りてきて、会見をしよう』と言ったとき、このことに気づき、そして、答えました、『私は大工事をしているから、下って行けない』(ネヘミヤ6:3)。ここに、天の原理がはたらいています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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