2020年7月5日日曜日

【Daily Open Windows】7月5日

七月五日

信じます。不信仰な私をお助けください。(マルコ九・二十四)

あなたも私も、じっくり考えなければならないことがあります。個人的に、私はことあるごとにこの思いに引き戻されます。すなわち、私は自分が信じているものを信じることを、まだ、徹底的に学びきっていないということです!私は、キリストが完成された御業を信じていますが、それなのに、時に他のどのような人間とも変わらないくらい、自分が惨めになることがあります。なんと曲がった者だろうという思いにとらわれて、自分をあきらめうになることもしばしばです。この世界に、キリスト者としての務めを投げ出したい気持ちにさせるものがあるとしたら、それは私自身です。私の言いたいことが分かっていただけますか?ああ、私たちは自分自身の中にあるものに気付いては、、心をくじかれています!こうしてみると、私たちは、自分が信じるものを信じていないのです。私たちは、キリストの完成された御業を信じ、そして、神がその完成された御業の全てを私たちに負わせることも信じています。神は、私たち自身の中にいる私たちを見ていません――キリストの中にいる私たちを見ています。神は私たちを見ず、私たちの中のキリストを見ます。私たちは、このことを信じていません!本当に信じていたら、私たちは、自分自身から解放されて、真に勝利にあふれたキリスト者となることでしょう。もちろん、これは、私たちがどのように振舞ってもかまわないという意味ではありません。


私たちは間違ったことを語ったり、行ったりするかもしれませんが、一人ひとりのキリスト者には避け所――贖いのふたがあります。この避け所は、新たにこしらえる必要はなく、かけがえのない血潮によって備えられています。その血は、流される必要はなく、すでに流されています。私たちのためにとりなしをしてくださる『大祭司』がおられます。私たちに必要なものは、すべて用意されています。御業はすでに行われ、完成しました。ああ、私たちキリスト者は、自分が信じるものを信じなければなりません!私たちは、キリストへの信仰から生まれるものを、両の手でしっかりと抱きとめなければなりません!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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