2020年7月7日火曜日

【Daily Open Windows】7月7日

七月七日

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ八・二)

私たちの古い人から来るもの、例えば、私たちの古い気性、古い裁き方、古い性質など、何であっても、それが外に現れてしまったら、神の子供であればよく知っているように、その時点で、壁が作られて、前に進むことができなくなり、霊的ないのちの中に抑え込まれてしまうので、元に戻って、そこに現れた古いものをきれいに片付けなくてはなりません。これは、この宇宙の他の何よりも、私たちにとって明白な現実です。その瞬間、私たちは霊的に立ち止まったまま、一歩も進めなくなり、炎の剣が行く手をふさぎます。ここで、自分にできることは何もありません。その現れた古いものを、ここで表に出せば、あなたは裁きを受けます。あなたは、神の裁きにあいます。あなたは砕かれることになります。このことは、神が全ての古いものへの対処を、ずっと前に終えられていて、私たちには神の立場を受け入れるしかないという事実とは、相容れないものです。私たちが、これを受け入れたとき、この事実が良い結果をもたらし、良い結果を生み続けています。私たちは、この事実の上に立ち、真実を受け入れます。私たちは、自分で古い創造を実際に終わらせることはできなくても、前を向いてこう言う者です、『私は神と同じように考える。』さて、こうして行くうちに、私たちは気づくでしょう。すなわち、神がこのすべてを死の下に置いたからには、死がその上にとどまり、そして、死がその頭をまた、もたげることがあれば、死の判決がくだされます。自分の生来の力で、主のために働き始めたら、私たちは死と向かい合い、そして、間もなく、その生来の力は、死のもとに下るでしょう。神に関することで、自分の生来の考えで判断するようになれば、私たちは停滞に陥り、間もなく、全てが行き詰って、抜け出すことができなくなります。何であろうと生来、持っているものを、神の働きの中に持ち込もうとすれば――新しいことではなく、古いことです――それによって、私たちは、古い創造の上に置かれているはずの死と直面させられます。主にあるいのちの新しさの中に入り、神の御霊によって働き、御霊に導かれるままに歩いている限り、死はその力を失い、そして、私たちは、主のいのちの中にあって、前に進み続け、全てを乗り切ることができます。生まれ持ったものにどれだけの、困難と弱さがあっても、私たちは、全てを切り抜けて、御霊にあって進み続けます。『キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。』私たちは解放されています!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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