2020年7月10日金曜日

【Daily Open Windows】7月10日

七月十日

むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ四・十五)

何年にも渡って主の子供であり続け、また、長いあいだ、主のために働いてきたのに、どこかで行き詰まり、動きが止まってしまった神の子供たちを、私たちはたくさん知っています。なぜでしょう?そう、どこかの道、どこかの地点で、何らかのかたちで、彼ら自身から来るもの、彼らの古い自我が表に出てきて、目の前にはっきりと示されて、人生の途上に立ちふさがりました。それは、彼らの古い思いから来るもの、彼らの古い願い、古くから持っている愛情、欲望や感覚から来る何かかもしれません。それが、あるかたちをとって、彼らの進む道に現れます。彼らは主の道にいるのです。必要なのは、彼らが再び死ぬことではなく、彼らが、キリストにある一度きりの死を受け入れるようになることですが、これは、何であれ、人生で起こった何ごとかのつながりの中で行われ、彼らは、その出来事を決着させて、あの罪と死の律法から解放されなければなりません。『死んだ行ないからの回心。』この使徒がヘブル人たちに言っていることはまさしくこれです。すなわち、『あなたたちは行き詰ってしまった。あなたたちはただ、先に進むことができなくなった。あまりに遠くまで進み、こうしてある地点に到達したが、その後は、何年にも渡って、その場所から一歩も離れていない。あなたは、前にはあった土台をもう持っていないし、完全な成長に向けて進んではいない。キリストが死んだとき自分も死んだことを、あなたたちはまだ、揺るがない事実として受け入れていない。キリストのもとに来たとき、あなたたちは古い創造の制度と秩序のすべてを、宗教の面でも、他の面でも終わらせたのだ。キリストは律法の終わり、キリストは古い創造の終わりであり、そして、主は新しいもの全ての始まりである。古い真実を繰り返して聞くことを厭いてはいけない。古い真実も土台として、とても大切なものであり、このこと自体が土台となるものである。』私たちには運命つけられたことがあります。すなわち、今、それを受け入れるか否か、好むか否かに関わらず、私たちは、神の土台だけが生きることに気づくように定められているのです。これは真実であり、そして、誰も、古い創造に縛られて、古い創造の水準にありながら、神と神から来るものとの関わりの中で生き抜くことはできません。主にあるこの新しい生き方は、あまりに細い道なので、私たちは自分で自分をそこに進ませることはできず、自分自身を捨てていくしかないのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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